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4月10日、新米姪っ子嬢が、2歳の誕生日を迎えました!!
ハイパー自由人の新米。
牛乳をやたら飲む新米。
音楽が好きな新米。
ジジが好きな新米。
たくあんが好きな新米。
そして
2歳と2日目(4月11日)に
私のいないところではあったものの
「あっこねえちゃん」
と言ったそうです!!!!!!
きゃー!!!!!
姉ちゃん、感無量。
ああもう、なんて可愛いんでしょう・・・
そして、自由人なわりに、賢いんでしょう・・・(おばバカ全開)
歌が大好きな新米は、今日電話で
「あっぱっで、ちゅーゆー」
と歌ってくれました。
はい、「ハッピーバースデートゥーユー」ですよ~。
ちゃんと歌えるの。もう可愛い(だからおばバカだって
健やかに育ってね。
母は、幼かったころの私たち姉妹に
「食べ物と人の好き嫌いは言ってはいけません」
と教育しました。
なかなか斬新な「躾」のような気もするけれど、今になってこの言葉の重みを、ひしひしと感じています。
すんごくシンプルな言葉だけど。
そして、幼い姉妹にも、理解できる言葉だけど。
でも、やっぱり子供だったので、その言葉の核心について理解できたのは、ほんとに大人になってから。
私は小さいころから食べ物の好き嫌いはほとんどない食いしん坊だったけど、妹はわりと偏食だった。
そして、幼いながらに「学校」とか「習い事」とかの「小さな社会」に所属していたら、幼い心なりにやっぱり「悪口を言うこと」とか、「○○ちゃん嫌い」とかいろーんな感情が湧いたなあ。
私の中で一番ぐれていた(?)中学時代は
「まず先生はむかつく存在だ」
という前提から入っていたし・・・
嫌いな子の悪口は、とことん言ってた気がする。
でも、反省したんだよね。そんな自分を。
悪口を言ったり、自分の価値観と違うだけで「この子は嫌い」と言ってた自分が、嫌になった。
そして、高校入学にあたり、高校デビュー♪とは言いませんが、
「悪口を言うのをやめよう」
と決めた訳です。
全く新しい環境に飛び込む時に、悪口大好きだった自分を封印しよう、と。
それによって、友人関係に悩むことも、あったことはあったけど・・・
「悪口を言わない」と決めた自分が、どうしても苦しくてたまらなかった胸の内を誰にも話せず悩んだり。
そんな私に、そっと助け舟を出してくれた友には、今でも感謝しています。
でも、結果的に良かったと思う。
母の教育は、間違っていない、と感じる最近。
一方で妹。
偏食だった妹も、子育てをしているうちに苦手な食べ物をどんどん克服。
今ではなんでもおいしいおいしいと食べる。
新米は、こどもらしからぬものも、食べる。ナムルとか。
あいつはただの食いしん坊かもしれないが・・・
そんな妹も、私と同じだったみたい。
昔々の悪口言いまくっていた自分を、後悔しているんだって。
そして、今は私と同じく、悪口大嫌い。
*******
期せずして、同じ時期に私と妹は、「悪口ばかりの環境」に悩んでいます。
「悪口」で盛り上がる人たちについていけず、少々苦しんでいる。
ふたりとも、わかってるの。
「悪口を言うだけでは、何も解決しない」
と。
とある人に問題を感じたとしても、それを裏でどうこう言っても意味がない。
それよりも、建設的に問題を解決していく術を考えるべきだ、と。
それなのに、周りはそんなこと気付いてなくて・・・
その場にいない人は、誰でもターゲットになってしまうという・・・
(私も妹も、おんなじような環境。妹のおかれた環境の方がやや酷い気もするんだけど)
昔、私が命の洗濯をした星野富弘さんの言葉を書きましたが、もう一度。
(うろ覚えですが)
「悪口をいうのは、やめよう
それを最初に聞くのは、自分の耳なのだから」
具体的に書いたらそれこそ悪口になっちゃうから、書くのは控えます。
でも、自分が発した言葉が、自分の心を汚してしまうこと・・・そのことに気付いてもらえたらなと思います。
*******
母の教育が、身にしみる。
私も妹も、「人間として正しく生きる」ためのヒントを、幼い頃に教えてもらってたんだな・・・
私味噌煮、妹みそいち。
ふたりともなんだかんだで不器用だけど、「正しく生きる」ことができるよう、もがいてるよ。
母に育ててもらえて、よかった。
今更だけど、ありがとう、お母さん。
いや、やろうと思えばできるのかもしれないけど、我が家の膨大な医療費の領収書の計算も、なんだかわからん数式に当てはめていって何らかの金額をはじき出すことも、できない。
そんな時に心強いのが、妹の存在。
妹は専門学校で簿記を学んだ。
ついでに、電卓検定も一級だか段だったかわかんないけど持っている。
少なくとも、私より「お金に関する」数字についてはけた外れに強い。
(あ、こう書くとお金に執着が強いみたいになっちゃうかな?そうとはまた違うのですが)
で、一緒にやってもらうと言いつつ、実はほとんどやってもらっている現実・・・
姉ちゃんしっかりしろよ。と我に言い聞かせるも、だめだー。
妹は賢いなあ、私と違ってなんでこんなに賢いんだろう、そう感じ始めてからもう10年以上になるでしょうか。
その10年以上の間に、妹は私よりも早く社会人になり、社会人としての立ち居振る舞いも私より早く身につけ、また生涯の伴侶も見つけ、可愛いふたりの娘の母になりました。
一方で、全然大人になりきれないまま年だけ食っていく私。
妹の賢さに憧れつつも、それは妹が努力して身につけたものだということも知っているから、ただ憧れるだけじゃなく自分は自分のやり方で模索していこう、と思っている訳です。
・・・が
妹は、プレゼンの中身が作れなかった。
学校で、PCの基礎から深い内容までみっちり学んでいる妹が、パワーポイントの授業の総括で
「お題は自由だから、学んだパワポを使って何かプレゼンをしなさい」
という課題が出されたらしく。
努力家の妹なので、パワポの使い方はおそらく完璧にマスターしてます。
(ちなみに私は、卒論で使ったことは使ったけどそれっきりです・・・)
でも、「何をプレゼンしていいかわからない」んだそうで。
そんな話を電話でしてたら、私が「介護についてにしたら?」とふと言ったところ「それいいね」と。
その結果
だいたい、私が作ってます(笑)
勿論、話し合いながらだけど。
パワポについては、今の私は使えないけど、「こんなことができる」くらいは知ってる。
なので、ない頭を振りしぼって、より良いプレゼンができるよう、更にパワポができる操作を最大限生かせるようなものを、いろいろ考えながら作ってます~。
口頭で話すセリフも、私の口から発したものを妹まる写し(笑)
しかも、数字に強い(と思っていたはずの)妹が
「私数字弱いからさあ、グラフとかどう作ったらいいかわかんなーい♪」
だって。
妹を賢いと尊敬している私が、
妹から
「やっぱりお姉さんは頭いいねえ」
なんて言われて、少々悦に入っている現在です。
まあ、私が妹を賢いと思っても、また妹が私を頭がいいと思っても、それはただ「お互いにないものを持っている」っていうレベルであり、世間一般の「頭の良さ」「賢さ」とは比べることじゃないんですけどね。
今回のことで、姉妹の絆が深まった、なんて綺麗なことを言いたい訳じゃないんだけど
ふたりともそれぞれ、得意なことと苦手なことがある。
そんなふたりが、たまたま「姉妹」としてこの世に生を受けてから30年ちょっとの月日を経て、お互いの苦手なことをフォローし、助け合えるようになったという事実は、結構幸せなことだなあと思うのです。
人間に、完璧な人はいない。
みんな、どこか欠けているのは当たり前なんだな、と。
でも、それでいいんです。
欠けてるからこそ、助け合える。支え合える。
人を、思いやれる。
人という字は、「支え合っている人間」を形にした文字。
そのことって、結構深い意味があるなあ・・・と。
欠けてて、いいんです。
大物政治家さんが、ご自身の偏見から「どこか欠けている」と(私が思っていることとは全く意味合いの違う差別的な言い方で)発言されたそうですが、
私が思ったのは「欠けている」と言ったご自身が欠けているところなんかない完璧な人間だと思ったら大間違いだよ、ということ。
その偏見に満ちた発言で傷つかれる方々の気持ちを考えないご自身に「欠けている部分」があることを自覚してほしい・・・と思ったのです。
欠けてていい、とは開き直りではないです。
日本人の大切な伝統である「わびさび」だって、「欠けている」という意味から来た概念でしょ?
「何かが欠けている」→侘びしい、寂しい→それが、美しい「わびさび」。そういうことだったはず。
自分を見つめ直して、「こんなことが苦手だな」って振り返ることは、大切なことだと思う。
そして、苦手なことを持っている自分が間違っている訳じゃない、と信じることも大切だと思う。
でも、人間性に欠けた発言には、皆さん気をつけましょうね。
妹との「補い合い」(笑)から、そんなことまで考えちゃったよー。
それもまた、無駄じゃないよね?うん。
上手く書けてないかもしれないけど、徒然なるままに。
プログラムをいただいたら
独奏 トリ
声楽・楽器演奏 トリ
自由な演奏&連弾 トリ
えええええええええええええええええ!!
だからさ、何もかも間違ってますってば!
勿論、先生に猛烈抗議。
100歩譲って、連弾は良しとしよう。
私たちの前は中学生だもの。
で も
ピアノ独奏は、教育学部で音楽を学んでいる女の子が私の前
(昨年はこの重圧に完敗した)
フルート演奏は、声楽とクラリネットの後
(クラリネットの子は初登場につき情報なしだが高3。音大志望の可能性もある)
(せめてクラリネット→私→声楽にしてくれればよいものを)
ブラウン監督になれるんなら、ホームベース引っ剥がして投げてたね。
そんくらい、猛抗議。
でも、熱いブラウン監督風の私に対し、先生涼しい顔~。
まあ、年齢考えるとそうなっちゃうのも仕方ないんだけど・・・むうう。
ということで、
今年も、「イロモノ担当の『淑女』」で参ることにします。
もうお一人の声楽を披露される「淑女」さんはもう身体を張ってイロモノを担当する気持ちなのか
2曲歌われるうちの2曲目の作者に「藤山一郎」と書かれておりました。
藤山一郎さんの曲は青い山脈しか存じてませんが・・・
でも、東京音楽学校を出られていて、声楽家としての素養をしっかりと持たれた方だとも知ってます。
(青い山脈は、流行歌にうとい私だけど大好きです)
・・・だけどこの選曲は、イロモノ狙いだと思うんだよね~。
ネタばれになるから、ここでは伏せますが。
平均年齢を著しく引き上げている感じをひしひしと感じつつも
連弾ご一緒するAちゃんが私を20代半ばだと思い込んでたと言ってくれたので
まあ、いっか。
・・・よくない!
書きたいことが貯まりまくってるけど、一応4月10日は選挙の日だった訳で・・・
選挙カーもかなり少ない、新聞も大震災の記事に紙面を割いていて、情報量も少ない現実。
(そもそも最近の私は新聞を隅から隅まで読むことをしなくなりつつある・・・そこは大いに反省すべきですが)
そして、私の居住地で行われる選挙は「県議会議員選」。
千葉の県会議員って・・・なんかイメージできること、ありますか?
正直言って、私はないんです。ごめんなさい。
でも、「何もイメージできない」ということは、私の中では「可もなく不可もなく」なんだろうなと解釈。
選挙カーの自粛は、選挙カーがばんばん通る道路に面した我が家にはありがたいんだけどね。
まあ、言ってしまえば、「無党派層」な訳ですよ。
そして、今回の選挙はどうしても「自粛ムード」が先行したことも加わり、「この人に入れたい!」と思える人がいるどころか、誰が立候補してるのかも知らないのが、新聞熟読サボり気味な無党派層の現実です。
勿論、投票に行かないという選択肢もないわけじゃない。
でも、私はわりかしまめに投票する人間。
「無党派層」が「誰に託していいかわからない」という声は、棄権しては届かない。
そして、今回は偶然が重なり
ピアノの発表会のリハーサル会場の向かいが投票会場
だったので(そんな理由?はい、大いなる理由です)
リハーサル前に、行ってきました。投票。
予備知識、ほぼ0。
せめて現職の方のお名前くらい覚えておけばよかった・・・
候補者さんで覚えていた名前は、たまたま仕事帰りに見かけて覚えやすかったから、程度。
じゃあどうしようか?
投票用紙を眺めて、30秒ほど考えた。
そして一応、お名前を書きました。
でも・・・今私が訴えたいことは・・・
で、お名前の横に
「復興させてください」
って書いちゃいました~。
それは、書いたお名前の方でも、当選された方でも(書いた方が当選したかわかってないです・・・)、県会議員さんでも、誰でもいいし、逆に誰もできないのかもしれません。
しかも、投票用紙は候補者の名前を書くものです。
・・・だけど、書いてしまった。
これが今の政治に、私が求めていることなんだ、と。
書いてから、自分の思いがわかりました。
今の日本の大変な状況に対して、偉い方・・・総理大臣、官房長官、各大臣、国会議員、都道府県知事、その他もろもろの方々は、きっと必死に働かれているのだと思います。
でも、この大惨事に、上手くたち回れる人間なんて、そうはいないはず。
私だって好きになれない政治家もいるし、頭にくることもあるよ。
自分がその立場になったらもっと上手くできるなんて、言えないから・・・
批判することは、とても大切なこと。
でも、私はただ、復興のために懸命に働いてほしい。
批判できるほど自分の意見を持ってない弱い人間だから、その弱い人間なりの意思表示をしたい。
ちっぽけな意思表示を、政治を掌る方々に伝えたいんです。
自己満足だけど、ね。
でも書いた自分に満足したので、投票行って良かったなと思いました。
風船ももらったし~♪職場で使うつもり。スーパーボールを入れると面白い動きになるってほんとかな。
おまけ
職場でも選挙の話になったけど、やっぱり気になるのは都知事選。
最近入職した職員さんが、
「こないだ渋谷に行ったんですけど、都内の選挙ポスターって選挙っていうより芸能人ですね」
と言いました。
・・・はい。私こないだ都内に出た時、ポスター掲示板写メ撮りましたから!
さすが東京。
(田舎者丸出しみたいね)
・・・でも、いくら芸能人のポスターっぽくても、AKB総選挙とは訳が違うことくらいはわかってるよ・・・
選挙ねた、終了。