忍者ブログ
平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
[1] [2]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

計算が間違ってなければだけど・・・

1996年5月4日に、私は「命がけでフルートを吹く」生活とさよならしました。

中学から始めたフルート。
一生吹き続けようと思ったフルート。
一時期は音大に行きたいと思った(血迷った)くらい夢中になったフルート。

あと、ピッコロ。←実はフルートより好き

あんなに夢中になれたことがあって、本当に良かったと思う。
中学の吹奏楽部、高校のオーケストラ部、どちらの思い出も、私の宝物。



さて、その15年前の5月4日は、ばたばたっと、過ぎた。
午後に行われる「音楽部」全体の演奏会と、夜の「オーケストラ部」だけの演奏会と。
木管の仲間内では当時やたらとお好み焼きが流行っていました。
そこで、打ち上げは母校そばのお好み焼き屋さん「よしこ」を予約していました。
「よしこ」のおかみよしこさん(本当によしこさんなのかは不明)は結構恐くて、焼き方が下手だとすぐ怒りに来てくれて、正しいお好み焼きおよびもんじゃ焼きの焼き方、食べ方を教えてくれたものです。
みんな「よしこ」「よしこ」と勝手に呼び捨てで言いたい放題(但し裏で)。

ところが、当日になって、どう考えても打ち上げに母校の最寄り駅まで戻る時間がないことに気付き。
(おバカなもっかんずですから)

そこで、もっかんずから3人どう選ばれたのかまでは覚えてないけど、津田沼の街を歩き回り、代わりに打ち上げできる場所を探し歩き・・・
結局見つかったのが、「粉と水」


もろ お好み焼き屋。


でもとりあえずほっと一息。
そして、もっかんずの愛すべきいじられキャラのパートリーダーAb(但し音楽の才能は別格だった)が、今度はうだうだと言い始めた。

「よしこにキャンセルするのがこわい」

煽るもっかんずも悪いけど(笑)
たしかに、こわもてのよしこが電話に出たら、怒られそうでこわい、よね・・・
今思えば、高校生の予約なんて大した収益じゃないだろうけど、高校生にとっては自分たちは「大口の客」だと思い込んでいたわけで。
そこで、なぜか私、代わりにキャンセルの電話をしてあげました。
電話は、よしこではなく感じのいいお兄さんが出てくれました。

あっさり、クリア!

Abに、カップのコーラをおごってもらったよ。
なぜか、そのコーラと氷の味が、忘れられないのです。



そのコーラをおごってくれた愛すべきパートリーダーAbのかけ声で木管一同円陣を組み、
向かった本番は

暑かった・・・
ライトが・・・
トリッチトラッチポルカのピッコロのピッチが半端なく高いのは、暑かったからです。
管は気温に左右されまくるので・・・しかもピッコロは管が短いので余計合わせづらいので・・・

(ごめんなさい)

でもこの曲は、合唱団で歌い、オーケストラで演奏し、ピアノで連弾したという私にとって特別な曲だ。

他にも

実力派指導者なのに実は本番緊張すると無茶な指揮するかすぴーとか
本番は先輩から贈られたおそろいの靴下を履くのが伝統だったヴァイオリンパートのアニエスの靴下とか
私の中学から借りたチャイムの音とか
なぜあんなにいい音が鳴るのか理解しかねたAbのオーボエとか
今更自分のトリルはあと2音足せば絶対間違いなく良かったはずだという反省とか
泣き虫E子が本番前から泣いてたこととか
「ピッコロは嫌い」と言いきってたはずなのにラストの一曲がピッコロになっちゃったY子のこととか
写真撮影で楽器を×の形にして120人の集合写真にちゃっかりインパクトを残しちゃったクラのふたりとか
どう考えても大人びすぎていた部長とか(あの頃で充分30代で行けたと思う・・・)


・・・挙げだすときりがないほど、いろーんなことが思いだされる、5月4日。


懐かしい、のう~。




あれから15年。
この日の演奏会で引退し、みんな別々の道に進みました。

なぜか私はまたフルート吹き始めて(発表会を終えてから吹いてないけど)
あの熱くも楽しかった頃には届かぬ音色ながら(音大行きたかっただなんて信じられない!)
あの頃から憧れていた曲を先日本番で吹けて、幸せだなと思うのです。

そして、年取ったなあ・・・とも思うのです~。


つれづれなるままに、思い出を。


*******

昨日、泣き虫だったE子が第二子を出産しました!
おめでとう。いつか会いに行くよ。
そして、今度の14日、愛すべきいじられキャラパートリーダーだったAbが歌手として母校の演奏会で歌います!
(こっそり、宣伝する私)

もし気になる方いらしたら、ご連絡くださーい♪
私は仕事で行けないのですが・・・
 

拍手

PR
また、大きな地震がありました。
「余震」・・・分解すると「余った」「地震」だけど、それにしちゃ大きいよ・・・
最大震度は6強。
父がつけているラジオの様子では、怪我をされた方もいらっしゃるようで・・・


って、あんまり思いつめると暗くなっちゃうので、地震の思い出だけど私にとっては「楽しい」(と子供心に思った)ことがぶわっと出てきたので、書いてみます。



私が初めてしっかりと「体感した」大きな地震は、小学校3年生の2学期に起きました。
その話の前に、ちょっと遡ると、「体感」していない大きな地震は確か小学1年の早朝で、私がぐうすか寝ているときに母は必死で私たち姉妹の2段ベッドが倒れないよう押さえてたとか。
その時の震度は5。
学校に行ったら担任のカネコ先生が「家で何かありましたか?」と朝の会だったか1時間目だったか話し合う機会を作ってくれて、ショウヘイくんが「時計が落ちました」と発表しました。
ショウヘイくんは普段は内気な男の子でそんなに手を挙げるタイプじゃなかったので、「時計が落ちるほどの揺れが寝てる間に起きた」事実と同時に印象に残っています。

(はいはい、私の記憶力は気持ち悪いですよ~。きっとショウヘイくんも覚えてませんよ~。)


さて、それから3年生になって、「体感」する訳ですが。
3年生の担任の先生は2学期から産休に入られ、代わりに担任になったのがシンドウ先生でした。
男の先生で、穏やかな低い声で、薬指に金色の結婚指輪をしていて、ソフトコンタクトレンズ使用でした。
(だから気持ち悪いですよ~。でも、コンタクトについては、私は小学3年からコンタクトだったので、先天性近視で他の子とは違う器具を使う状況にある私を、「自分の仲間だよ」という雰囲気で気遣ってくださっていたのです)
そして2学期の午後、地震は起きました。
避難訓練できちんと習っている小学生ですから、みんなすぐに机の下に潜り込み。
私の印象では、「船に乗っている」ような揺れでした。
怖い、というより、普段経験できない建物の動きに、むしろ興奮していました。
数十秒の揺れが収まって、机から出てきたクラスのみんなは、やっぱり私とおんなじで。
興奮でなにがなんだかわからない、不思議な空気がクラスにあった。
そしたら、校内放送が流れました。

「千葉県北西部は、震度5です」

やっぱり、クラスは興奮。
小学生の素直な感性は、「怖い」じゃなくて「びっくり」だったのかな。
でもおそらく、「冷静」とは真逆の心理状態にあったのは確か。

そしたら、シンドウ先生が言いました。

「シンドウ先生が5人で、シンド~ 5!」(手をパーに開いて)

クラスは大爆笑。
小学3年生の素直な感性には、たまらなくおかしいことを先生は言った。


・・・今思えば
シンドウ先生はおやじギャグが好きだったのかなとかいろいろ思うところはあったとしても、
少なくともシンドウ先生は、いきなり起こった事態に冷静さを失っている子供たちをリラックスさせようと、先生なりに考えてその言葉を発してくださったんだろうな・・・と。
先生の優しさ、「子供を守りたい」という思いが、今だからこそ染みるんです。


先生は私立高校の付属小学校に異動(おそらく正式採用なのかな?)が決まり、先生の授業を受けられたのはわずか半年余り。
でも先生は、離任式で涙を流された。
ほんのわずかな期間だったけれど、きっとクラスの子供たちをいっぱい思いやってくださったんだろうな・・・

もう20年以上の前の記憶だけど。
今更ながら、先生が担任でよかったな、と感謝の気持ちでいっぱいです。
お元気でいらっしゃるといいな。そう思います。



*******

さて、そんな地震が「大きな地震」の記憶であった私にとって、「震度6」というのは想像を越える恐ろしいものだと思っていました。
実際、阪神大震災の時に、学校へ行く前に「震度6」の表示が出た瞬間の恐怖の気持ち、忘れられません。
その後、実際は7だったであろう、とされましたが・・・。

今回の東日本大震災で千葉県北西部は震度6弱を観測。
最大震度は7。
自分が、記憶に残る「5」を体感していただけに、6以上の恐怖を何かしら感じていたはずが・・・

今晩の余震で「6強」と言われても、恐ろしさとかあまり感じなくなりつつあることに気付く。
今回の大震災でものすごい数の余震を体感したせいで、「怖い」感覚も麻痺しちゃうんだろうか。


それじゃ、いけないよね。
どうか怪我される方が少なくて済みますよう。
被害が多くの方に及ばないことを、祈ります。


早く落ち着きを取り戻してほしい・・・地球さん、プレートさん、頼みます。

拍手

今日から始まった、「獣医ドリトル」を観ました。
最近朝ドラと大河しか見てない私が、珍しく。
まあ内容はどうでもいいんですが(いや、面白いし、よさそうですよ)

今日おそらくゲストで出てた子役の男の子を見てたら、芋づるのように思い出がするする出てきた。
不登校で、実のお母さんじゃない母親と同居していて、ペットの猫を大切にするけなげでちょっとはかなげな男の子。

あれ?

誰かに似てる・・・

いや、この境遇の誰か、じゃなくてこの境遇を演じるようなタイプの誰か・・・

誰だっけ?



誰かを思い出したことは後に置いといて、同時に思い出した「我が家のおかき」のことを。
おかきって、家で作りますか?
昔、我が家では毎年2月から3月ごろ、母が揚げてくれました。
材料は、お正月のおもちのあまりです。鏡餅とか。
それをひたすら干して、干からびたのを揚げて塩を振ったらできあがり。

・・・いつちぎるのか、それとも自然に細かく割れるのか、イマイチ思い出せないのですが。

今は個包装のが売っているけど、昔は切りもちの保存は難しかった。
(年がばれる?)
それに、新潟の親戚と近所のいとこの家からたっぷりと板にしたおもちをいただいてました。
お正月とはカビとの闘いを意味するものでもありました。

それを、冬の空気に散々さらして、美味しくいただく。
先人の知恵を、母はちゃんと知っていたみたいです。


高校までは間違いなく我が家では作ってたな。
なぜかというと、もっかんずにやたらウケた記憶がしっかり残っているからです。
「もっと持ってきて」と催促する仲間もいたっけ。
それくらい、美味しかった。
おそらく消えてしまうであろう、我が家の歴史。
いや、消したくないなあ、まだおもちの季節には早いけど、今度自分で作ってみようかなあとも思ったり。



話を戻します。
思い出しました。
たしか小学2年まで同級生だった、こうちゃんでした。
こうちゃんは不登校じゃなかったし、元気で優しいごくごく普通の男の子だったんだけど。
背が小さくて、女の子みたいにくりくりとした目が可愛い子。
確か2月生まれで、サワダくんと同じ誕生日(嗚呼どうでもいい・・・)
私の小学校の出席番号は誕生日順で、サワダくんが先でこうちゃんが後でした。
どうでもいいところで細かいところが気になる私(だから細かすぎて伝わらないものまね選手権は大好き)は、なんでそんな順番になったか問い詰めた。
そしたらこうちゃんは「生まれた時間が僕の方が遅かったんだよ」と言った。
それを信じていたら(こうちゃんも信じていたと思うけど・・・)小学5年の時私自身が同じ誕生日の子と同じクラスになり、順番が後になった。そしたら私の方が誕生した時間はずっと早かった。どうやらあいうえお順になるらしいことが判明し、ちょっとがっかりしたり。あーどうでもよすぎる~。

さて、そのサワダくんと同じ誕生日のこうちゃんは、本当に可愛くて優しい男の子で、愛されキャラ的人気者でした。
なぜか私も、時々遊びました。だいたいは同じクラスのMちゃんも一緒に。
(このブログを読んでくださる方にMちゃんを知っている人、多分いると思います・・・だから伏字にしちゃった)
仲良くできることがなんだか嬉しくて、恋心とは別次元でああ、こうちゃん可愛い、好きだなあなんて、ね。
そのこうちゃんが、転校すると。
すごく、さみしかった。
それで、最後に一緒に遊んだのが、我が家でふたりで、だったのです。
ふたりで、といっても我が家には母も妹もおじいちゃんもいたけどね。

そして、最後だなと思ったのかこうちゃんは母に挨拶し、
母は「さみしいわねえ、こうちゃん元気でね」と言って

ビニール袋にたっぷりと、手製のおかきを入れてプレゼント。
ついでにみかんも、プレゼント。(これは静岡の親戚から送ってきたものと思われる)

母からの、お餞別でした。
たまたまあったから、であり、たまたま転校の季節と我が家のおかきシーズンが重なったからであるのだけど、鮮明に覚えていた、あのお餞別。


その後こうちゃんの丁寧な字の葉書が届いて(多分引っ越し通知だったと思う)
そこに

「おかきとってもおいしかったよ」

と書かれていたのでした。
そんなことがあったから、余計に覚えてるのかな?


その後一度も会ってませんが・・・
実は、ブラウン管の向こうで、再会したのです。
こうちゃんは、子役タレントになっていました。
私が観たのは、病院に入院しているパジャマ姿の少年役のこうちゃん。
相変わらず可愛くて、でも確かにちょっぴり病弱そうに見えて(可愛らしさがかよわさに見えたのかも)、いじらしいこうちゃんが、テレビの向こうで一生懸命演技をしていました。


びっくりだよねえ。



でも、更にびっくりしたのが、小学6年の時点でMちゃんがまだこうちゃんと文通していたという事実・・・
おそらく、幼心にふたりは両思いだったのだと。
ちらっと見たこうちゃんの手紙(当然ながら中身は見せてもらえなかったよ)は、相変わらず丁寧な文字で、光GENJIの封筒に入っていました。
(年を感じさせる?ええいいですよ)



こうちゃん、今どうしてるのかな・・・
おそらく、俳優の仕事はしてないと思います。見かけないし。
私と同い年で、同じクラスで仲がよかった男の子がテレビに出てたというミラクル(少なくとも幼い私にとっては)。
そんな時期を通過して、果たしてどんな大人になっているのか、気になるところですが、思い出にそっとしまっておけば、いいのかな。




そんなことを、今日の子役くんから思い出したのでした。
こうちゃんよりちょっとぽっちゃりしてたけど、雰囲気が似てたんだよな・・・
そしたら、思い出温泉どっぷりでした。

・・・やっぱり、おかき作ってみよう。うん、きっとやってみればできるさー。

拍手

今日の関東地方は、不安定な天気。
父は隣の隣の市まで出かけたら土砂降りだったと帰ってきてから言った。
私の住んでいるところは、晴れていた。

でも台風が近いんじゃ、雨降るかな、と思い折りたたみ傘と普通の傘と両方持って出勤。
(ええ、私の荷物が無駄に多いのはこういう変なことするからです)
玄関を開けたら。
晴れ間に雨。

「狐の嫁入り」だ!



記憶は、私がまだ幼稚園児だった頃にワープ。
なんで幼稚園児だと断定できるかと言うと、その記憶の断片には、まだ我が家が増築していなくて庭が広かった頃の景色が焼き付いているから。
私が小学校へ入る前に、我が家は「こども部屋」を広くした。
お父さんお母さんと一緒に寝るのではなく、きょうだいだけの部屋を作るために。
今日思い出したのは、そのこども部屋がない頃の、広い庭での光景だった。
お布団を干すのに、太い管を物干し代わりに使っていて、そこで私達はいつも電話ごっこをして遊んだ。
管の端と端で、「聞こえますか聞こえますか」と遊ぶの。
我が家でお友達と遊ぶときは、恒例行事だった遊びのひとつ。

そんな電話ごっこをしていたかは覚えてないけど、広かった庭で遊んでいたら、晴れている空から、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
そしたら、こどもの遊びに付き合っていた母が、

「『狐の嫁入り』ね」

と言った。
そこに食いついたのは、お友達のまあちゃんで、「きつねのよめいりってなに?」と聞いた。
母は、「お天気雨が降る日に、狐がお嫁に行くのよ」と教えてくれた。
私は、角隠しをした狐を思い浮かべて、なんだか面白いなあと思った。


そんな言い伝えがどれだけ知られているのか、私には判らないけど、私にとってお天気雨と狐の嫁入りはセットで出てくる。
なんだかわくわくする。



いつもは小降りならあんまり傘をささない私だけど、今日はお天気雨の中、傘をさしてみた。
通行人は誰もさしてないのに。
ちょっと恥ずかしくなって、駅に着く手前でやめたんだけど。

その30分後、職場の窓からはざあざあ降りの外が見えた。
一瞬の楽しみだったんだなあ。



仕事は、相変わらず勉強になってます。
そして今日は、帰宅後妹一家と一緒に送り火を焚きました。
お盆も終わりですね。


お仕事のこと、あと相変わらず暑い暑いオリンピックのことはまた書きます。

拍手

3勤を終え、今日起きたら脚が痛い。
疲れてるんだなあ、と実感。

でも、今の私の課題は体力作り。
休みの日だからって、ぐうたらばかりじゃいかんでしょ。
その上、現在我が家の隣にある古ーいビル?(昔怪しげなサウナがあった。入り口の階段を昇って、振り返るとモナリザのコピーが飾ってあったのを、中学時代に知った)が、取り壊し工事中。
ただでさえ揺れる我が家、ダイナミックな工事につき轟音とかなりの振動。
PCの液晶画面が揺れるよー。すごいよー。

そんなにぎやかな家にいるのもなんだし・・・ということで、ちょっくらお買い物に。
いつもと違う方面に、自転車乗って行ってきました。
買い物を済ませ、帰ろうと思った矢先に。

あ!そういやこないだマックでハンバーガー無料券もらったんだった!

そして、いつもと違う方面に、数ヶ月前に新しくマクドナルドができたのを思い出した。
じゃあ行ってみるかー。


最近、マクドナルドではバーガー類は期間限定のものしか食べてなかった。
そんなに食べる機会もないけど。
シンプルなハンバーガーなんて、久しぶりだなあ。
そう思いつつ、かぶりついてみたら。


実習時代の味がしました。
大学時代、泣いたり笑ったり苦しんだり追い詰められたり自律神経症状まで出て脈拍が200まで上がる程だった、あの実習時代。

3年生を留年した私に、先に実習を終えた仲間が、「実習生生活の食生活を乗り切る方法」を教えてくれました。
今思えば、ぞっとするようなお話ですが・・・
でも、自炊なんてしている余裕がなくなるのは、私のような時間のやりくり下手な人間には明白な事実。
そこで、仲間に教わった方法を実行したのであります。
当時のマクドナルドでは、「ハンバーガー・チーズバーガー平日半額」というサービスをしていました。
確か、ハンバーガーが65円、チーズバーガーが70円だったかな?
それを、友人は

「まとめ買いして冷凍庫に入れるんよ」

と教えてくれたのです。
レンジでチンして食べれば、意外とイケル、と。
そして、彼女ならではのご意見として

「夕食はチーズバーガー食べると、リッチな気分になれるよ」


・・・実行。
週に一度は、ハンバーガー5個、チーズバーガー5個まとめ買い。
即冷凍庫保管。
でも、食いしん坊な私は、やっぱりチーズバーガーの消費の方が早かった・・・
デイリーノートやらケースノートやら中間発表やら最終発表やら、寝る時間が皆無のような生活だったので(しかも私は記録を書く能力が決定的に欠如していた)、必然的に「夜食にハンバーガー」なんて日も・・・

そんな話を、実習地でお世話になったW先生にさらっとしたら、真顔で心配されました。
そして、病院で行われた「入職者歓迎会」に入職者でも職員でもないのに潜り込ませていただいた時、W先生は

「spicaさん、ちゃんと食べなきゃだめ!そんな食生活じゃ栄養取れないから、今日は食べて!」

先生の優しさに感激したのをよくよく覚えています。
その日は歓迎会故お酒も振る舞われ、スーパーバイザーの先生とビールまで飲んじゃって、その後フィードバックを受けるという不良指導者と不良&超問題児実習生だったのですが・・・


でも、マックのハンバーガーを解凍するくらいしかできなかった私は、本当に追い詰められてたんだろうなあ。
ご飯炊いて冷凍するとか、それくらいならできてもよかったのに。


楽じゃなかった実習の味が、今日のできたてのハンバーガーの味に重なって、たかが無料のハンバーガーなのに、しんみりしてしまった一日。




若い仲間達は、いよいよ終盤戦です。
最後の実習、思う存分実力を発揮してきて欲しいな。
私みたいな食生活じゃなく・・・ね。

拍手

カウンター
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
プロフィール
HN:
spica
年齢:
45
性別:
女性
誕生日:
1978/09/05
職業:
天使兼業いんちきOT
最新コメント
[07/17 松ちゃん]
[07/10 くじら]
[07/10 D → DHM]
[06/10 づーちー]
[06/08 DHM]
最新トラックバック
おひまつぶし
お時間ある時にでもどうぞ。

by Orfeon
ばなばなばなー
 バナー作ってみました♪
(素材提供ふわふわ。り)                  
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]
♥  素材提供:ふわふわ。り