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ちょっと、おひさしぶりです。
元気です。もりもり食べてます。
おそらくそんなに食べなくていいけど、まあ元気なのでいいことにします。
あ、よくないか。
忙しかったし慌ただしかったし、感情の起伏もめちゃくちゃになりそうな(それは不安とか落ち込みの波ではなく、驚きとか悲しみとかやるせなさとか…そんな波です)1週間でした。
人間の命について、ひたすら考えた1週間でした。
しかも、きっかけが「ひとりの人間」ではなく「複数の人間」(しかも自分を含まない)だったことが、すごいです。
その中からふたつ、「対照的」なのかはわからないけど書いてみます。
明日は早起きです。ただいま洗濯中。
ひとつの命の火が、あっという間に消えました。
私は数回しかお会いしたことはなかったけれど、穏やかで優しい、朴訥なお人柄なことは知っていました。
苦しまれたのは、おそらく5分ぐらいだったと。
あまりにあっけない、旅立ちだったそうです。
おそらく「幸せな最期」だったと言えるのでしょうが、残された者はそんなことが起こるとは全く想像もしていなかった訳で。
覚悟も準備も心構えも、なーんにもしないまま、いきなり「大切な人の死」という事実と対峙するのは、どんなものなのか・・・とも思います。
(私も祖父を似たような形で見送ったので、その時の感情を思い出すと少しはわかる気がするのですが)
お花が大好きな方でした。
ご自分で、見事な蘭をいくつも育てていらっしゃいました。
東京ドームに出展したこともあったとか。
棺の中のその方は、あまりに穏やかで綺麗なお顔をされていました。
その穏やかなお顔の周りには、ご自分で育てられた美しい蘭の花が囲んでいました。
天国でのお名前に、「蘭」の文字が入ったそうです。
どうぞ安らかにお眠りください。
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「死」を見つめた後、「生」も見つめることになりました。
というか、人間は毎日の生活の中で確実に「死」に向かっていて、それなのに必死に「生」きているんですね。
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医師に
「いつ何が起こってもおかしくない状況です」
「手術が成功しても寝たきり生活を勧めます」
と言われた人が、3ヶ月の月日を経て、ひとりで入浴できるようになりました。
3ヶ月前に、そんな日が来るとは誰も想像していなかったかもしれない。
「死」という暗い影におびえていた時期もあったと思う。
本人も、周囲の人も。
でもその人は、回復した。
術後3週間、ベッドから一歩も出られなかった人が、そこまで回復した。
「あきらめない」ことの大切さを、知りました。
人間の命は、
桜の花のようであり
大輪の花火のようであり
梅の蕾のようであり
雪の下のふきのとうのようです。
まとめになってませんが、そう思いました。
絵心も詩心もないので、ご勘弁ください。
自分がどんなように生きるか全くわからないけど、やっぱり充実した人生だと思えたらいいな。
そのためには、毎日大事に過ごさなきゃ・・・ね。
お仕事前に、ちょこっとだけ…と
谷根千散策!
(谷中・根津・千駄木のことです)
初詣に行きたいなあ・・・と思って、でもひとりで行くのもさびしいなあと思い、友人に声をかけたら、6日に千駄木に買い物に行くから、そっち方面ならよかったら、とお返事をいただき。
ということで、夕方から仕事だけど、その前に、ほんのちょっと。
待ち合わせは千駄木。
まず目指したのは・・・
根津神社。
初めて行きましたが、とても趣深く、空気がしんとして、素敵。
「重要文化財」としての価値も、存分に感じました。
お賽銭を投げて、あれこれ願う。
叶うかどうか・・・わからないけど、あれこれのうちのちょっとでも、叶いますよう。
で、友人と悩んだのですが、この神社はいったい誰をまつっているのか。
(どこにも書いてない!)
ウィキペディアで調べてみたら、いっぱいまつってあるみたいでした。
つまりはきっと、オールラウンダーよっ。
お守りを買おうとして、「健康に効くものは?」と聞いたら、「なんでも叶う」のしかないみたいで。
・・・やっぱり、オールラウンダーなんだわっ。
ということで、なんでも守ってくれそうな、根津神社と言えばつつじでしょと、きれいなつつじの刺繍がされたものをひとつ買いました。
自分にじゃないんだけどね。
おみくじは、小吉でした。まあそんなもんだろうなあ。
ちょこっとでも吉なら、よしとしよう。
失せ物は、女の人が見つけてくれるらしい。
電車で忘れ物をしたら、女性の駅員さんにすがろうと決心。
(そもそも、忘れるなよ・・・忘れる前提で考えるなよ自分・・・)
つつじの花の季節は、見事なんだろうなあ。
でも、池にかめさんがいるのを発見。なんか縁起がいい感じ。
そして、根津神社には、素敵すぎるお稲荷さんが併設されていました!
その名も、乙女稲荷(キャー!!!)
味噌煮の乙女ふたり、大興奮(ちょっとだけ誇張)
そして、その入り口脇に、なんとも乙女ちっくな可愛いお花が咲いた木が植わっていたよ。
みっつめは、花のアップです。
可愛い~♪
乙女稲荷にも、乙女度をアップしてもらえるよう一生懸命願い、根津神社を後に。
ちょっと歩いて、友人が買い物をしたいお店へ。
和紙屋さんでした。
あまりに素敵な和紙がいっぱいで、しかも他にも私のツボをくすぐりまくるものがてんこ盛り・・・
悩んで悩んで、ちょこっとだけ購入。
中身はなんでしょう?ご想像にお任せします。
歩いてる途中で撮ったつばき。
そのまま、友人おすすめのイタリアンのお店へ。
おそらく丸の内とかだったら倍くらいしそうな内容のランチを、お手頃価格でいただきました。
サラダとスープだけでなく、前菜までついてきたよ。
サラダは緑の野菜たっぷり(味つけはシンプルにバルサミコ酢)、スープも野菜たっぷりミネストローネでした。
友人の話によると、千駄木は「グルメの街」なんだって。
ほんとに、いろんなお店があったなあ。今まで行ったことなかったけど、美味しいものめぐりもできそう。
おいしいもの食べながら、くだけたおしゃべりをする時間は、至福です~。
まじめな話もしたけどね。
まだ時間があったので、そのまま日暮里まで歩くことに。
幼稚園の脇を通ったら、ピアニカの合奏が聴こえてきました。
・・・なぜか「紅葉」でした・・・(秋の夕日に照る山紅葉)
秋から練習してたら、秋通り越しちゃったのかな?と苦笑い。
それと、こんな車を発見。
うぎゃー!素敵すぎる!!
「こどもきちトラック」と書かれており、
子供たちが自由に書いた絵で覆われています。
こんなことをさせる大人の懐の深さも、すごいよね。
谷中銀座に到着。
なんか、すごくいい感じの商店街ですね。
激安コロッケとか、有名人が食べまくってるというメンチカツとか、揚げてないかりんとうとか、竹細工とか。
下町の雰囲気と、ちょこっと観光客を意識したところと、いろんなものが混在して、いい感じ。
こういう風情は、好きだ。
「気取った」感じとは違う、力の抜けた雰囲気(でも「銀座」と名乗っちゃうあたりも)好きだ。
・・・でも、「夕焼けだんだん」の意味はまったくわからなかったよー。
(ただの階段)
ですが、その「夕焼けだんだん」と名のついたただの階段に、更なる癒しが待っていた。
あれ、ちょこん。
まだ、ちょこん。(ちょっと寄った)
こんなに寄っても、堂々たる貫録!
「あんた、そんなにおいらを撮りたいのかい、しょうがないなあ」
ちょっと、モデルになっていただきました~。
ううううう~、可愛い♪
友人の話によると、谷中は「猫の街」なんだそうで。
3匹ほど出会いましたが、どの猫ちゃんも堂々としてる。
人を怖がること皆無。
都内の違うところで真っ白な猫を見て、写真を撮ろうとしたら逃げられたのですが、同じ都内でもこんなに猫の堂々っぷりが違うのにびっくりです。
癒された・・・
そんな感じで、短い時間だったのにも関わらず、「谷根千」すべて満喫しちゃいましたー♪
ああ、たのしかった!
友よ、案内してくれてありがとう☆
また行きたいなー!!
今日は、ぼやき・・・になるかもしれないけど、自分自身についての「気づき」について書こうかと。
明日は忙しいので、ささっと。
今の職場に入って、2年半が経ちました。
介護職員として採用され、今も介護職員ですが、一応「ちょこっと作業療法士」の顔も持たせていただき。
そんな中、職場の問題点について、自分なりに一生懸命考えていました。
職員さんが「介護職員」として働く上での問題点。
私自身は皆さんにとてもよくしていただいてるし、感謝していますが、「高齢者と接するプロ」として、その態度はどうなのかな・・・と感じることがいろいろとあり。
はっきり言って、高齢者と接することは難しいです。
年を重ねると、人間は頑固になり、わがままになる。
その上、「認知症」というものも抱えるようになる。
だから、想像以上に職員は振り回されるし、それに対応することは結構過酷です。
・・・でも、違うんじゃないか?
それは言っちゃいけないんじゃないか?
そういう態度で接することは、利用者さんにだけでなく、職員さん自身にとってもよくないことでは?
ということで、ちょこっと作業療法士、あれこれ考え悩んだ結果、文章を作りました。
「よりよい関係を作るためのヒント」となりそうなことを、書いた。
介護の世界ではおそらく学ばないことについて、かなり平たい言葉で書いた。
・・・という形で、職場に問題提起をしたわけです。
言葉は柔らかくても、「ちょっと直していこうよ」という内容に、結果的にはなった。
でも、微力ながら職場環境の改善、介護の質の向上のために、自分にできることをしたいと。
コピー用紙を切らしていた私は、楽譜を印刷した裏紙にそれを印刷し(笑)、とりあえず部長に提出。
どうなるかはわからないけど、これはプロトタイプとして読んでほしい、と。
昨日、部長さんに会えたので「どうでしたか」と尋ねたら、
なんと、次の主任副主任会議に私が作った文章を持ち込むと。
とても、勉強になる内容だったと。
部長さん自身、今の職場環境にものすごい問題を感じている方なので(感じ方は私と似ているし、似ていない)、反応としてはとてもありがたいものでした。
私を買ってもらえた、と、嬉しく思いました。
が・・・
部長さんは、「私が問題提起した」ことは伏せると言うのです。
私は、「言ってくれて構わない」と言いました。
でも、部長さんは私に反発する職員さんが出てくること、批判の矛先が私に向かうことを、とても危惧されており。
「短時間しか働いてない人間に何がわかるんだ」と言われかねないことを、私に負わせるのは酷だと。
そこまで考えてくださるのは、ありがたいことです。
でも、正直、ものすごく悔しかった。
私は非常勤の下っ端だ。
当然、私にはわからないことは、あると思う。
でも、私は、「自分が学んだこと、そして自分自身が経験したこと」を文章にした。
それは、おそらく今の職場では、私しか知らないことであり(実際スピード出世した部長さんですら知らなかった)、「知識と経験に裏打ちされた」という意味では、私以外が発するのは違うんじゃないか?
私はこの文章を書いた時点で、「問題山積の職場」に対して「私がこう考えたんです」と主張する「覚悟」をしていたんだよ?
悔しくなった自分から、気付いた。
私はひそかに、もんのすごくプライドが高い。
そして、「作業療法士」を名乗ることに半端なく自信がないと思っていたけれど、自分自身が「作業療法士」であること、その立場から何かを発信することに責任を持とうとしていたこと、そういった行動を取ろうとする自分を認めてもらいたいこと・・・そんな「欲望」が実は存在していたんだ、ということに気付いたんです。
下っ端でいい、とずーっと思っていたはずなのに。
上に立つことは苦手なのに。
「先生」と呼ばれることが辛くて辛くてつぶれたことも、あったのに。
(今も呼ばれたくはないけど)
全然話は飛びますが、もうすぐ退職する若い職員さんが
「ここにいてももう上はつかえてる、自分が上がれる余地はない」
とこっそり白状してくれました。
その時、若いのに出世についても考えてるんだ…と驚きと同時に感心したんですが。
実は、私もそうなのかも?
ただぼんやり指示された仕事をこなすだけの生活から、脱皮したいのかも?
今回のことで、自分の中に眠っていた部分が冬眠から覚めたっぽいことに、気付いちゃったよーん。
まっ、どうなるかわからないけど、頑張ります~。
寝る。
東京か
新潟か
富山か
その辺にしか行きあたらず、おそらく島国を出たことはないと思うのですが・・・
(私は千葉生まれだけど、両親は都内生まれ)
私は、小さい頃「ハーフみたい」とよく言われた。
で、つい一年ほど前にも「外国の血が入ってるのかと思ってました」と言われた。
(にっぽんのいもねえちゃんの典型だと思っていたのに!)
そして今、我が家のアイドル新米が、やたら「ハーフっぽい」と言われている模様。
超天然の保育士さんに「新米ちゃんはマリアンヌちゃんって顔立ちですね」と言われたそうです。
確かに、ちょっとハーフっぽい。
しかもどうやら、親戚の証言によると、新米は私に似ているらしい。
「絶対親子だって間違われるって!」(by のんちゃん)
まあ悪い気はしないが、妹には申し訳ないような。
そしてそして、びっくりの事実が最近判明。
私は母似とされてきたのですが(母のルーツの富山は・・・どうもハーフっぽい)、父の小さい頃の写真が出てきたのです。
ハーフっぽい!
・・・ちゅうか、今になってはちょいぽちゃ短足のにっぽんのおっさんの典型のような父が、
5歳くらいの時
ものすごくおぼっちゃんっぽい!!
かわいい!!
こんな子なら、産みたい!(今の父に進化しないなら)
おぼっちゃんっぽいのは、父のお母さん、私の祖母が、編み物の達人で、着ているものすべて上手な手編みのニットだったから、というのはあると思うんだけど・・・
親子3代、不思議なDNAです。
ちなみに、私に似てハーフっぽい新米が、私のDNAを一番受け継いだであろうことは、
「く い し ん ぼ う」
であることで・・・
(似なくていいのに)
私は行けなかった親族のお正月会で、新米は遊び場と食べる場をひたすら往復していた、と叔母の証言が。
「新米ちゃん、ほんとによく食べるわねえ」
メタボだけど、可愛いので許す。
よく食べる自由人新米も、あんまり食べないおませな怪獣も、可愛いから許す。
・・・はい、ばかですねえ。すいません。