忍者ブログ
平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
[1448] [1447] [1446] [1445] [1444] [1443] [1442] [1441] [1440] [1439] [1438]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

まず、我が家は家族全員無事です。
ご心配くださった皆さん、感謝しています。この場を借りてお礼いたします。

2日間(正確には1日と9時間半くらい)のことを、千葉県北西部の住人の視点で書きつけておきます。
お暇な方は、お読みください。
なるべく感情的にならず淡々と書くつもりですが、もしリキ入ってたらごめんなさい。
そこが、私がなんらか強く感じた、と捉えていただければ幸いです。

 

●3月11日(金)

この日は、仕事は休み。
母の受診日で、父とふたりで車で出かけていた。
私自身は神経科の受診日。
母の様子について母の主治医に手紙を書いたので、夜更かししてしまい少々寝不足で、ゆっくりめに起きる。
医者行かなきゃ・・・と、のろのろと身支度。
でも、めんどくさいなあ・・・と居間に座ってぼーっとしていた。

揺れを感じる。
あれ?と思っていたら、だんだん揺れが激しくなったので、洗濯場(我が家の洗濯機は外にある)に出る窓?サッシ?を開けたら、更に揺れが激しくなり、これはまずいと、洗濯場からサンダルで外へ。
かなり揺れが激しい。しかもどんどん強くなってる・・・
今まで体感したことがない・・・怖い・・・
あまりに怖かったので、おんぼろな我が家の門にしがみつきながら、「こわい、こわい」と言い続ける。
玄関の戸がぎしぎしと波打ち、このまま家が倒壊するのでは?と思うほど家も、街も、揺れていた。
我が家の目の前の歯医者さんから、歯科衛生士さんと思しき女性が私と同じようにおたおたと出てきたのが見えた。

揺れがだんだんおさまってくるのを待ち、洗濯場から家に入ったら、テレビ横の食器棚の戸が開いており、コップやいろんな小物が落下していた。
驚きつつも、食器棚が倒れなかったことにほっとしつつ、まずは正確な情報を・・・とテレビをつける。
NHKは、津波情報が多く、震度については触れていなかった。(その時点で)おそらく今後予想される被害の回避を優先した放送だった様子。
でも我が家は海からは離れているし、素人なのでとりあえず「震度」を知りたく、別の局に。
千葉県北西部、震度6弱。
最大震度は、7(栗原市)
これは恐ろしいことになる・・・と、思った。

それから10分ほどで両親帰宅。安堵する。
両親も、私のことが心配だった模様。
前日に母の部屋入り口ドアノブが壊れたので、ホームセンターに寄るつもりだったが、車内で激しい揺れを感じてあわてて帰ってきた、とのこと。
父いわく「ひきがえるがぺちゃんこになってないかと思ったんだよ」だそう。娘はカエルですか・・・
でも、家族が無事で、まずはほっとした。

その後、母の部屋(元私の部屋)の私の机の本棚から、本や書類が大量に落下していることに気付く。
また、父が2階(今の私の部屋)を見に行ったら、ブラウン管テレビとその上に乗せていたCDラジカセが落下し、ごみ箱をぺちゃんこにつぶしていたとのこと。
私も見に行き、驚く。
もしここで寝ていたら、一応ベッドだから下敷きにはならなかったと思うけど、ベッドから出られなかったかも。
神経科受診は、この状態では無理だと判断。


片づけをしながら、ニュースを見る。
父が割れたガラスなどの掃除と、私の部屋のテレビとラジカセをもとの位置に戻してくれた。
私は、自分の机の書類を、とりあえず本棚につっこんだ。
その書類の中に、大学時代に書いた老年期の実習レポートがまぎれていた。
身体拘束について感情的に書きすぎて対象者の全体像を見ることができなかった情けなさを思い出し、開かず本棚につっこんだ。
ニュースでは、ひたすら恐ろしいことを流している。


何度も強い余震。
起きるたび、ベッドに寝ている母にかぶさり、「大丈夫よ」と母にではなく自分自身に言い聞かせていた。


父が、ガスが止まっていることに気付く。
幸いなことに、電気も水道も、無事。
なら、温められるだけのものを、買いに行くべきかな?
正直、父も母も勿論私も人生の中で経験したことがない事態に、家族みんな興奮していた。
おそらく「料理する」なんて心の余裕はなかったと、思う。
父が、「お弁当買ってくるか?」と。
そこで、最寄りのスーパーに行ってみたら、店員さんが入口に立っており「営業できる状態ではありません」
ドラッグストアも、本屋さんもレンタルビデオ屋さんも同じ模様。
かろうじて開いていたパン屋さんで、残りわずかなパンからいくつか購入。
その足で、コンビニに行ってみたら開いていて、お客さんは多かったものの比較的品物は揃っていた。
そこで、家族3人分の「スープごはん」とサラダ、あと冷凍食品をいくつか購入。

・・・買えたことは、実はとてもありがたいことだったと、後で知ることになります。
ガスは無事復旧。


テレビはどの局も地震と津波について。
映し出される映像は、局ごとに違うけれど、どの局を見ても、流れる映像は、まるで地獄絵図。
阪神大震災を思い出す(あの時鮮明に焼きついている映像は高速道路がなぎ倒されている様子と、ちぎれた道路からバスが飛び出している様子と、火の海)。
でも、今回の「地獄絵図」は、おもに濁流が街を、田畑を、あっという間に飲みこんでいく様子。
想像しただけで、恐ろしい。
ただ、この映像を「絵図」と思えた自分は、とても恵まれているのだと感じる。
現場の方にとっては、「絵図」ではなく、突きつけられた「現実」なのだから・・・


妹一家のことが心配だが、電話がつながらない。
携帯も固定電話も。
夕方、妹のだんなさんからやっと電話がかかってきた。
「娘ふたりは無事、妹は電車が動かないからI市から歩いて帰ってくると連絡があった」とのこと。
繋がったのは奇跡的だと思う。
でも、できることは無事を信じることだけだ。


夕食は、スープごはんとエビマヨサラダ。
なかなか美味しい。
「たまには、出来合いもいいね」と母。
でも父は律義に、味噌汁を作ってくれました。それもまた、ありがたい。


夜10時ごろ、妹の家に電話がやっと繋がり、ちょうど妹無事帰宅。
3時半ごろから歩き始め、途中ファミレスで休憩しつつ余震におびえ、でも無事帰れた。
へとへとなはずなのに、妹の声は元気で、「非常事態に興奮冷めやらぬ状態」のが伝わる。
同じ方向の4人で帰って来られたとのこと、励まし合えて、よかったと思う。
母はずっと心配でたまらず、繋がらないのに妹に電話をかけつづけていたので、母にも無事を伝える。


午後11時ごろ、私の携帯にまとめてメールが届く。
気遣ってくれた方、ありがとう。
本当に送受信が困難な状況だけど、遅れて届いても、気持ちがとても嬉しい。


お風呂に入ってから携帯を見たら、メールで「留守番着信通知」とある。
そっか、電源が入っていない状態とされてるんだな・・・
福岡の友人が、何回もかけてくれていた様子。
無事を報告すべく、携帯でかけようとするが繋がらず、家の電話からかける。
とてもほっとしてくれた。
私も、声が聞けてほっとした。
ありがとう。



寝ようとするも、ただでさえ非常事態、しかもテレビもラジオも被害状況ばかり・・・で、気持ちが休まらない。
地獄絵図がまた頭をよぎる。
(あ、落下したテレビもラジカセも、無事でした)
クラシック好きな私はNHKのFM愛聴者だけど、NHKなので勿論災害情報。
そこで、普段聴かないbayFMに合わせてみる。
そしたら、勿論非常事態の放送ではあるのだけど、時折寄せられたメッセージを読まれたり(千葉のFM局なので私と同じような感情の方の投稿が多い)、また災害の情報も流れるけど、基本的に音楽・・・聴いていて心地の良い、明るかったり優しかったりするような曲を流してくれていて。
このスタンスは、ありがたい。
それを聴きながら、眠りにつく・・・とはいかず、追加の眠剤投入で、なんとか眠りの世界へ。




長くなったので、2日目の記録は次の記事に。

拍手

PR
この記事にコメントする
NAME
SUBJECT
COLOR
MAIL
URL
COMMENT
PASS Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
spica
年齢:
45
性別:
女性
誕生日:
1978/09/05
職業:
天使兼業いんちきOT
最新コメント
[07/17 松ちゃん]
[07/10 くじら]
[07/10 D → DHM]
[06/10 づーちー]
[06/08 DHM]
最新トラックバック
おひまつぶし
お時間ある時にでもどうぞ。

by Orfeon
ばなばなばなー
 バナー作ってみました♪
(素材提供ふわふわ。り)                  
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]
♥  素材提供:ふわふわ。り