平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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また、大きな地震がありました。
「余震」・・・分解すると「余った」「地震」だけど、それにしちゃ大きいよ・・・
最大震度は6強。
父がつけているラジオの様子では、怪我をされた方もいらっしゃるようで・・・
って、あんまり思いつめると暗くなっちゃうので、地震の思い出だけど私にとっては「楽しい」(と子供心に思った)ことがぶわっと出てきたので、書いてみます。
私が初めてしっかりと「体感した」大きな地震は、小学校3年生の2学期に起きました。
その話の前に、ちょっと遡ると、「体感」していない大きな地震は確か小学1年の早朝で、私がぐうすか寝ているときに母は必死で私たち姉妹の2段ベッドが倒れないよう押さえてたとか。
その時の震度は5。
学校に行ったら担任のカネコ先生が「家で何かありましたか?」と朝の会だったか1時間目だったか話し合う機会を作ってくれて、ショウヘイくんが「時計が落ちました」と発表しました。
ショウヘイくんは普段は内気な男の子でそんなに手を挙げるタイプじゃなかったので、「時計が落ちるほどの揺れが寝てる間に起きた」事実と同時に印象に残っています。
(はいはい、私の記憶力は気持ち悪いですよ~。きっとショウヘイくんも覚えてませんよ~。)
さて、それから3年生になって、「体感」する訳ですが。
3年生の担任の先生は2学期から産休に入られ、代わりに担任になったのがシンドウ先生でした。
男の先生で、穏やかな低い声で、薬指に金色の結婚指輪をしていて、ソフトコンタクトレンズ使用でした。
(だから気持ち悪いですよ~。でも、コンタクトについては、私は小学3年からコンタクトだったので、先天性近視で他の子とは違う器具を使う状況にある私を、「自分の仲間だよ」という雰囲気で気遣ってくださっていたのです)
そして2学期の午後、地震は起きました。
避難訓練できちんと習っている小学生ですから、みんなすぐに机の下に潜り込み。
私の印象では、「船に乗っている」ような揺れでした。
怖い、というより、普段経験できない建物の動きに、むしろ興奮していました。
数十秒の揺れが収まって、机から出てきたクラスのみんなは、やっぱり私とおんなじで。
興奮でなにがなんだかわからない、不思議な空気がクラスにあった。
そしたら、校内放送が流れました。
「千葉県北西部は、震度5です」
やっぱり、クラスは興奮。
小学生の素直な感性は、「怖い」じゃなくて「びっくり」だったのかな。
でもおそらく、「冷静」とは真逆の心理状態にあったのは確か。
そしたら、シンドウ先生が言いました。
「シンドウ先生が5人で、シンド~ 5!」(手をパーに開いて)
クラスは大爆笑。
小学3年生の素直な感性には、たまらなくおかしいことを先生は言った。
・・・今思えば
シンドウ先生はおやじギャグが好きだったのかなとかいろいろ思うところはあったとしても、
少なくともシンドウ先生は、いきなり起こった事態に冷静さを失っている子供たちをリラックスさせようと、先生なりに考えてその言葉を発してくださったんだろうな・・・と。
先生の優しさ、「子供を守りたい」という思いが、今だからこそ染みるんです。
先生は私立高校の付属小学校に異動(おそらく正式採用なのかな?)が決まり、先生の授業を受けられたのはわずか半年余り。
でも先生は、離任式で涙を流された。
ほんのわずかな期間だったけれど、きっとクラスの子供たちをいっぱい思いやってくださったんだろうな・・・
もう20年以上の前の記憶だけど。
今更ながら、先生が担任でよかったな、と感謝の気持ちでいっぱいです。
お元気でいらっしゃるといいな。そう思います。
*******
さて、そんな地震が「大きな地震」の記憶であった私にとって、「震度6」というのは想像を越える恐ろしいものだと思っていました。
実際、阪神大震災の時に、学校へ行く前に「震度6」の表示が出た瞬間の恐怖の気持ち、忘れられません。
その後、実際は7だったであろう、とされましたが・・・。
今回の東日本大震災で千葉県北西部は震度6弱を観測。
最大震度は7。
自分が、記憶に残る「5」を体感していただけに、6以上の恐怖を何かしら感じていたはずが・・・
今晩の余震で「6強」と言われても、恐ろしさとかあまり感じなくなりつつあることに気付く。
今回の大震災でものすごい数の余震を体感したせいで、「怖い」感覚も麻痺しちゃうんだろうか。
それじゃ、いけないよね。
どうか怪我される方が少なくて済みますよう。
被害が多くの方に及ばないことを、祈ります。
早く落ち着きを取り戻してほしい・・・地球さん、プレートさん、頼みます。
「余震」・・・分解すると「余った」「地震」だけど、それにしちゃ大きいよ・・・
最大震度は6強。
父がつけているラジオの様子では、怪我をされた方もいらっしゃるようで・・・
って、あんまり思いつめると暗くなっちゃうので、地震の思い出だけど私にとっては「楽しい」(と子供心に思った)ことがぶわっと出てきたので、書いてみます。
私が初めてしっかりと「体感した」大きな地震は、小学校3年生の2学期に起きました。
その話の前に、ちょっと遡ると、「体感」していない大きな地震は確か小学1年の早朝で、私がぐうすか寝ているときに母は必死で私たち姉妹の2段ベッドが倒れないよう押さえてたとか。
その時の震度は5。
学校に行ったら担任のカネコ先生が「家で何かありましたか?」と朝の会だったか1時間目だったか話し合う機会を作ってくれて、ショウヘイくんが「時計が落ちました」と発表しました。
ショウヘイくんは普段は内気な男の子でそんなに手を挙げるタイプじゃなかったので、「時計が落ちるほどの揺れが寝てる間に起きた」事実と同時に印象に残っています。
(はいはい、私の記憶力は気持ち悪いですよ~。きっとショウヘイくんも覚えてませんよ~。)
さて、それから3年生になって、「体感」する訳ですが。
3年生の担任の先生は2学期から産休に入られ、代わりに担任になったのがシンドウ先生でした。
男の先生で、穏やかな低い声で、薬指に金色の結婚指輪をしていて、ソフトコンタクトレンズ使用でした。
(だから気持ち悪いですよ~。でも、コンタクトについては、私は小学3年からコンタクトだったので、先天性近視で他の子とは違う器具を使う状況にある私を、「自分の仲間だよ」という雰囲気で気遣ってくださっていたのです)
そして2学期の午後、地震は起きました。
避難訓練できちんと習っている小学生ですから、みんなすぐに机の下に潜り込み。
私の印象では、「船に乗っている」ような揺れでした。
怖い、というより、普段経験できない建物の動きに、むしろ興奮していました。
数十秒の揺れが収まって、机から出てきたクラスのみんなは、やっぱり私とおんなじで。
興奮でなにがなんだかわからない、不思議な空気がクラスにあった。
そしたら、校内放送が流れました。
「千葉県北西部は、震度5です」
やっぱり、クラスは興奮。
小学生の素直な感性は、「怖い」じゃなくて「びっくり」だったのかな。
でもおそらく、「冷静」とは真逆の心理状態にあったのは確か。
そしたら、シンドウ先生が言いました。
「シンドウ先生が5人で、シンド~ 5!」(手をパーに開いて)
クラスは大爆笑。
小学3年生の素直な感性には、たまらなくおかしいことを先生は言った。
・・・今思えば
シンドウ先生はおやじギャグが好きだったのかなとかいろいろ思うところはあったとしても、
少なくともシンドウ先生は、いきなり起こった事態に冷静さを失っている子供たちをリラックスさせようと、先生なりに考えてその言葉を発してくださったんだろうな・・・と。
先生の優しさ、「子供を守りたい」という思いが、今だからこそ染みるんです。
先生は私立高校の付属小学校に異動(おそらく正式採用なのかな?)が決まり、先生の授業を受けられたのはわずか半年余り。
でも先生は、離任式で涙を流された。
ほんのわずかな期間だったけれど、きっとクラスの子供たちをいっぱい思いやってくださったんだろうな・・・
もう20年以上の前の記憶だけど。
今更ながら、先生が担任でよかったな、と感謝の気持ちでいっぱいです。
お元気でいらっしゃるといいな。そう思います。
*******
さて、そんな地震が「大きな地震」の記憶であった私にとって、「震度6」というのは想像を越える恐ろしいものだと思っていました。
実際、阪神大震災の時に、学校へ行く前に「震度6」の表示が出た瞬間の恐怖の気持ち、忘れられません。
その後、実際は7だったであろう、とされましたが・・・。
今回の東日本大震災で千葉県北西部は震度6弱を観測。
最大震度は7。
自分が、記憶に残る「5」を体感していただけに、6以上の恐怖を何かしら感じていたはずが・・・
今晩の余震で「6強」と言われても、恐ろしさとかあまり感じなくなりつつあることに気付く。
今回の大震災でものすごい数の余震を体感したせいで、「怖い」感覚も麻痺しちゃうんだろうか。
それじゃ、いけないよね。
どうか怪我される方が少なくて済みますよう。
被害が多くの方に及ばないことを、祈ります。
早く落ち着きを取り戻してほしい・・・地球さん、プレートさん、頼みます。
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