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カードで衝動買いをいっぱいしちゃったからです
aikoのベスト盤が買いたいからです
八日目の蝉を読みたいからです
ピアノのレッスンに行きたいからです
発表会に出たいからです
発表会に着る服を買いたいからです
可愛いサンダルが買いたいからです
一人旅に行きたいからです
できれば海外にこそっと行きたいからです
いまさらだけどいきものがかりのベスト盤も買いたいからです
Dollyの楽譜も買っちゃったからです
いつかTOEICを受けたいからです
貯金についても考えたいからです
賢いふりをしたいからです
自己アピールをしたいからです
本業は介護じゃないって言いたいからです
視点が違うことを訴えたいからです
自分に自信を持ちたいからです
自分はリハビリ屋です、作業療法士ですと自分に言い聞かせたいからです
利用者さんの笑顔が見たいからです
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随分、お金が欲しいんだねえ
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20答法風味。
記憶が確かなら
「私は~です」という文章を20書きならべる心理テストがあります。
(お暇な方はやってみてください)
その分析方法はというと
最初の方はどうでもいいんだって。
疲れてきた後半に、ほんとの気持ちが出てくるとか・・・だった気が。
あ、この知識を得たのは「あさやん」でモー娘。の加護ちゃんたちがなんかテレビでやってたんだよ。
そんなところで知識を仕入れ、しかも覚えてる私、やっぱり、変。
今日は、ぼやき・・・になるかもしれないけど、自分自身についての「気づき」について書こうかと。
明日は忙しいので、ささっと。
今の職場に入って、2年半が経ちました。
介護職員として採用され、今も介護職員ですが、一応「ちょこっと作業療法士」の顔も持たせていただき。
そんな中、職場の問題点について、自分なりに一生懸命考えていました。
職員さんが「介護職員」として働く上での問題点。
私自身は皆さんにとてもよくしていただいてるし、感謝していますが、「高齢者と接するプロ」として、その態度はどうなのかな・・・と感じることがいろいろとあり。
はっきり言って、高齢者と接することは難しいです。
年を重ねると、人間は頑固になり、わがままになる。
その上、「認知症」というものも抱えるようになる。
だから、想像以上に職員は振り回されるし、それに対応することは結構過酷です。
・・・でも、違うんじゃないか?
それは言っちゃいけないんじゃないか?
そういう態度で接することは、利用者さんにだけでなく、職員さん自身にとってもよくないことでは?
ということで、ちょこっと作業療法士、あれこれ考え悩んだ結果、文章を作りました。
「よりよい関係を作るためのヒント」となりそうなことを、書いた。
介護の世界ではおそらく学ばないことについて、かなり平たい言葉で書いた。
・・・という形で、職場に問題提起をしたわけです。
言葉は柔らかくても、「ちょっと直していこうよ」という内容に、結果的にはなった。
でも、微力ながら職場環境の改善、介護の質の向上のために、自分にできることをしたいと。
コピー用紙を切らしていた私は、楽譜を印刷した裏紙にそれを印刷し(笑)、とりあえず部長に提出。
どうなるかはわからないけど、これはプロトタイプとして読んでほしい、と。
昨日、部長さんに会えたので「どうでしたか」と尋ねたら、
なんと、次の主任副主任会議に私が作った文章を持ち込むと。
とても、勉強になる内容だったと。
部長さん自身、今の職場環境にものすごい問題を感じている方なので(感じ方は私と似ているし、似ていない)、反応としてはとてもありがたいものでした。
私を買ってもらえた、と、嬉しく思いました。
が・・・
部長さんは、「私が問題提起した」ことは伏せると言うのです。
私は、「言ってくれて構わない」と言いました。
でも、部長さんは私に反発する職員さんが出てくること、批判の矛先が私に向かうことを、とても危惧されており。
「短時間しか働いてない人間に何がわかるんだ」と言われかねないことを、私に負わせるのは酷だと。
そこまで考えてくださるのは、ありがたいことです。
でも、正直、ものすごく悔しかった。
私は非常勤の下っ端だ。
当然、私にはわからないことは、あると思う。
でも、私は、「自分が学んだこと、そして自分自身が経験したこと」を文章にした。
それは、おそらく今の職場では、私しか知らないことであり(実際スピード出世した部長さんですら知らなかった)、「知識と経験に裏打ちされた」という意味では、私以外が発するのは違うんじゃないか?
私はこの文章を書いた時点で、「問題山積の職場」に対して「私がこう考えたんです」と主張する「覚悟」をしていたんだよ?
悔しくなった自分から、気付いた。
私はひそかに、もんのすごくプライドが高い。
そして、「作業療法士」を名乗ることに半端なく自信がないと思っていたけれど、自分自身が「作業療法士」であること、その立場から何かを発信することに責任を持とうとしていたこと、そういった行動を取ろうとする自分を認めてもらいたいこと・・・そんな「欲望」が実は存在していたんだ、ということに気付いたんです。
下っ端でいい、とずーっと思っていたはずなのに。
上に立つことは苦手なのに。
「先生」と呼ばれることが辛くて辛くてつぶれたことも、あったのに。
(今も呼ばれたくはないけど)
全然話は飛びますが、もうすぐ退職する若い職員さんが
「ここにいてももう上はつかえてる、自分が上がれる余地はない」
とこっそり白状してくれました。
その時、若いのに出世についても考えてるんだ…と驚きと同時に感心したんですが。
実は、私もそうなのかも?
ただぼんやり指示された仕事をこなすだけの生活から、脱皮したいのかも?
今回のことで、自分の中に眠っていた部分が冬眠から覚めたっぽいことに、気付いちゃったよーん。
まっ、どうなるかわからないけど、頑張ります~。
寝る。
月一回、利用者さんのご家族に配られるお便りに
レクでテンパっている私の写真が2枚も載っていました。
盗撮じゃー!
肖像権の侵害じゃー!
そんなもん、目の毒じゃー!
せっかくならもうちょっと痩せてから載せてくれー!!
いろいろ言いたいが
一番ツッコミたいのが
「認知機能」という言葉を全然理解していない私が
「楽しく認知機能を維持していきます」
なることをやっているらしいこと。
すんません、ニンチキノウとは、現在の時点で、どのようなことを指すのですか?
そこから解ってない人間が
「楽しく認知機能を維持していきます」
という文章通りのことができているのでしょうか??
な ぞ 。
*******
私が学生だった頃は、まだ「認知症」という言葉はなく、「認知」という言葉はそれこそ専門用語で様々な範囲に用いられ(身体障害分野でも精神障害分野でも)、それぞれに大きな意味を持っていました。
そこは変わってないはずです。
英語で言ってしまえば「input」で間違いないと思われ。
が、「認知症」という言葉が作られ、広く使われるようになり、それ自体は決して悪いことではないのはわかっているけれど、それがきっかけで「認知」という言葉の意味がちんぷんかんぷんになってしまっているのが、(私の)現在です。
「認知が入る」
この言葉、大っ嫌い。
「認知」という言葉の意味を本当に分かっているなら(それは一般的な認識で充分です)、この文章はかなりおかしなものだということはきっとご理解いただける・・・かな?
でも、使われているのは事実。
そんな2010年夏現在、だからこそ、私がやっていることが「認知機能の維持」なのであれば、そこを正しく説明できなきゃだめだな、と。
いんちきだろうと、そうは見えなかろうと、一応はリハビリ屋ですから、勉強します。
「認知機能」という言葉自体は間違っていないと思うし、それこそ高齢者に関わる以上きちんと知るべきことですから。
ってか誰か教えてー(人頼み)
さ、その楽しくいろんな機能を維持するためのレク準備を、これからして寝ます。
私としては、「ストレス発散」担当なんですがね。
マジシャンじゃないからさあ。自称日本第一号先生のおっしゃるようなことはできないからさあ私。
目標1時間。頑張って早く終わらせて早く寝よう。
プログラムを考えるのは結構負担だし、伴奏の練習で時間がとられるし、お給料の出ない時間にやることがかなり多くて、正直しんどい。
でも、利用者さんが喜んでくれる姿を見る、ただそれだけで私は日々の大変さが吹っ飛びます。
頑張ってる。
そう実感できることが、幸せ。
テンパったハイテンションの私は、いたく滑稽に見えると思うけどね。
今日利用者さんが歌った「野ばら」の歌声は、本当にきれいでした。
音楽を生業にすることを選べなかった私だけど、今の私にとって、音楽は私の仕事道具です。
ピアノも合唱団も、無駄じゃなかった。
弾き語りも頑張ってますよ。(下手くそですが)
明日からは、レクのこと考えるのはしばらくサボります~。
ピアノのレッスンに向けて、付け焼刃じゃー。
ってか、ぼやっきー。
書いて満足したら消すかもしれないし、今後のために「通過点」として残すかもしれませんが、ぼやきです。
野村監督のぼやき以上に結構ぼやくので、ぼやきが嫌いな人は読まないほうがいいかも?
あ、そんなに落ち込んでるわけではないのでご安心ください。
私、その点では本当に強くなったと思います。弱い面もまだたくさんあるけどね。
*****
職場の立ち位置が「一応専門職、ちょびっとだけどね」に変わって、5か月目です。
一応「一応」でも、私は私なりに、不器用だとばれまくってもぐだぐだなレクだとあきれられても頑張ってきました。
手前味噌、になってしまうかもしれないけど、典型的古い体質の職場に新しいものを、自分の力で持ちこめたと思う。
「頑張ってるね」と認めてくれた主任さんもいて
「レク楽しみ!」と言ってくれる職員さんもいて
「俺もレク手伝いたいよー」と言ってくれる職員さんもいて
実際手伝いに来てくれた(完全なる勤務時間外に)職員さんもいて
「○○○交換の時にとっても役立ちました!」と言ってくれる職員さんもいて
「あなたのこと見かけると今日はレクの日かなあと思っちゃうんだよ」と言ってくださる利用者さんもいて
「これはすごく勉強になりました、ありがとうございました」とドン看護師さんの口から言葉が出ました。
手前味噌すぎるかな。
でも、「一応専門職」の私を快く思っていない職員さんが、いる。
すごく残念なんだけど・・・
そういう人がいるのは当たり前です。
なかったものを取り入れるのには、拒絶も抵抗もあるのは当然。
だけど、なぜ残念かというと、
その職員さんが、「施設内でのリハビリ」に一番積極的に取り組んでいた方だったからです。
その職員さんには、リハビリの資格はありません。
介護の資格を持っているかも、定かではありません。
但し、今働いている介護職員の中で一番古い・・・私が高校生のころからこの施設に関わってきた・・・人であり、それだけの経験があります。
だから、おそらく試行錯誤で「こんなことやったらどうだろう」とご自分でいろいろと考え、実践してこられたのだと思います。
(ちなみに私が持っている資格でできる仕事は、資格がない人でもやっていいと法律で定められています。堅苦しく書くと「名称独占であり業務独占ではない」とされます。介護福祉士の資格もそれに当たります)
今日、私はベッドサイドでの機能訓練をしました。
たいがい、私がリハビリ屋になる日はアシスタントとして誰か職員さんをつけてくれることになっています。
その職員さんは、当初はアシスタントをやってくれましたが、今は完全に拒まれている状況です。
ベッドサイドのアシスタントをしていただいた日に、即刻裏で
「個人にあんなに時間をかけて無駄ばかりだ
私がやる○○リハビリは大人数を一度に訓練できるのに」
とおっしゃったそうです。
(○○はごく普通の言葉が入ります。でも私は自分がそのリハビリをやっていると思っていませんし、専門用語としては成り立っていません)
レクリエーションに関しても、協力的ではありません。
自分がリーダーなら、主導権を握れるのなら、喜んでやる、という方です。
そして今日、痛烈なパンチをくらいました。
「あなたは個別リハビリをやるんでしょ
私は私のリハビリをやりますから」
「私の」の次に「あなたのよりもっと優れた」という意図が含まれていると感じずにはいられない言い方。
そして、これ見よがしに、今ベッドサイドでは関わっていない利用者さんを集め、機能訓練をされていました。
(その光景はものすごく不自然でした・・・タイミング的に。他の職員さんも首をかしげていました)
ちゃんとは見ていないけれど、経験があるだけ現場に即したものではあったと思います。
が、その機能訓練も、私の資格で散々学んだ内容。
・・・私のこと認めてくれるのなら、アドバイスを求めてくれてもいいのに・・・
・・・もっと良質な訓練内容を作れるかもしれないのに・・・
まだ、施設基準を変える段階ではなく、私はおまけです。
時々、たまたま学んだことを生かして利用者さんの生活の質をちょっとだけ上げるお手伝いをしているだけです。
職場のニーズに、たまたま合ってたから、この形態で雇ってもらえたんだと思います。
しかも、頭でっかちの知識よりも幾多の経験が上回ることは多々あります。
でも、なぜ協力してできないんだろう。
「利用者さんのために、お互いよりよいものを提供していこう」とどうして思えないんだろう。
今日のその方の「○○リハビリ」は内容はともあれ、明らかに私へのあてつけだった。
利用者さんを使っての自己満足。自己顕示。
それじゃ、意味ないよ・・・「よりよい施設づくり」と真逆じゃん・・・
その職員さんは、実はとても問題点の多い方なのも知っていました。
だから、気にする必要はない。そう思います。
「自分が中心じゃないと気が済まない」人だということもわかっています。
でも、中心にいてもいいから、周りの意見、アドバイスを取り入れられる柔軟性を持ってほしい。
人生の大先輩にそんなことを言うのも失礼かもしれないけど・・・
その方に振り回されて何度も泣いたことがあるという某職員さんに励まされました。
うん。負けない。
頑張る私。
「人生の先輩」を尊重できる器の広さと、年齢経験関係なく相手に自分の意見をしっかり主張できる気持ちの強さ、両方を持てるようになりたいです。
ぼやき終了~。
さ、これから明日誰に投票するか考えるかなあ(え、これから?)
お聞き苦しい点が多々あったかと思われます。お付き合いくださりありがとうございました。