平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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その前に、なーんでこんなに早起きなのでしょう?
答えは、「やっぱり眠れなかった」からであります。
書きたいことがなんだかいっぱいあるので、今日は朝早くからPCに向かってみました。
今日1日でいくつ記事エントリできるかな?うひひ。
「交代浴」とは、炎症で腫れや痛みを起こしている箇所を40℃ちょっとのお湯に2〜3分つけた後次に10℃くらいの水に1分くらいつける。それを繰り返し行うことをいいます。
それによって血行が良くなり、炎症をやわらげる・・・んだったような気がします。
超曖昧な記憶ではそんな感じでした。超曖昧なので正しくなくても文句言わないで下さい。お願いいたします(だってー、教科書に載ってないんだもん。ってこれから調べてみます)。
その「交代浴」を勉強したのは、大学4年の実習の時。
上腕骨(二の腕の骨)を複雑骨折し、末梢の手指まで腫れが起こってしまった品のいいおばあさんのために私のスーパーバイザーJ先生が
「spicaくん。交代浴を説明してあげなさい」
と私に命令しました。
私は、
「はぁ?」
と言ったかどうかは忘れましたが、全く分からなかったので困った顔をしました。
すると先生は本を取り出し
「これを読んでちゃんと方法を説明して教えてあげなさい」
とおっしゃる。
自信ないけど、やるっきゃないってことで、怖々本を覗いたのでした。
品のいいおばあさんはとてもいい方で、私が交代浴について全くわからなくても嫌な顔をせず待ってくれ、私が紙に書いて説明したら喜んでくれました。
それから、週に2回ほど、そのおばあさんはリハビリに来るようになりました。
私が実習させていただいた母校の付属の大学病院のリハ室は大学病院らしく患者さんの入れ替えが激しく、でも大学病院らしからぬアットホームな雰囲気の「居心地の良いところだな」と思える場所でした。
それはJ先生とW先生、それと当時新人だったS先生のお人柄が大いに影響していると思います。
そしてその品のいいおばあさんは、リハビリをしながらのおしゃべりがとても楽しみだったようです。
私やS先生に美味しい蒸しパンの作り方を教えてくださったりしました。
そして骨折した腕を動かす訓練を私が任された時、アメリカ帰りのJ先生は他の患者さんを診ながら
「アイソメトリックで動かすんだぞー」
とおっしゃいました。
それこそ「はぁ?」ですよ。さっぱりわからん。
まあ専門用語はニホンゴでも難しいので仕方ないですが。
その日おばあさんに正しい訓練ができていたかは・・・霧の中(汗)
そんな日々が続いていたのですが。
ある日、おばあさんが悲しい告白をしました。
おばあさんのご主人が末期の大腸がんで手術は不可能なこと。
そのためこれからはつきっきりで看病したいので、家により近い病院に転院すること。
そしておばあさんは泣きました。
「ここでリハビリを受けられるのが楽しみだった。来られなくなるのが悲しい」と。
最後は笑顔でお別れしました。
その後、ご主人がどうなったか、おばあさんの腕の痛みはどうなったかはわかりません。
実習生だったから知ることも出来ないし、先生方も知らないかもしれません。
でも、看病を続けていた時にあのリハ室が「憩いの場」になっていたらいいな、と思います。
今でもお元気でいていただけたらいいな、と思います。
・・・え?なんでそんな話を急にしたかって?
今私もやってるのですよ、「交代浴」!!
どうやってかといいますと・・・。
お風呂に入るとお湯がこぼれる話は書いてますが、そのこぼれる量を最小限にしようと思いついたのが
「肩の交代浴〜♪」
説明しよう、つまりは肩を片方ずつ湯の中に漬けるのであーる。
身体を90°倒して右肩を浸し、温まったら左に替えるのであーる。
・・・嗚呼、バカ丸出し(゜ー゜;Aアセアセ
でもそんなことしてたら、おばあさんのこと思い出せた。
実習は苦しかった。楽なものじゃない。
自律神経症状まで出たくらい(私の場合は頻脈になった。安静時の脈が120、エスカレーターで1階分歩いて昇ったら159まで上がるってどういうことかいな)。
毎朝3時に起きて記録を書いていた。栄養ドリンク片手に。
でも、でも、今となってはいい思い出の宝箱のような時間だったように思う。
いい先生に恵まれ、そしていい患者さんに恵まれた。
ありがたいことだ。
いろんな思い出話があるので、思い出したら書いていきたいです。
答えは、「やっぱり眠れなかった」からであります。
書きたいことがなんだかいっぱいあるので、今日は朝早くからPCに向かってみました。
今日1日でいくつ記事エントリできるかな?うひひ。
「交代浴」とは、炎症で腫れや痛みを起こしている箇所を40℃ちょっとのお湯に2〜3分つけた後次に10℃くらいの水に1分くらいつける。それを繰り返し行うことをいいます。
それによって血行が良くなり、炎症をやわらげる・・・んだったような気がします。
超曖昧な記憶ではそんな感じでした。超曖昧なので正しくなくても文句言わないで下さい。お願いいたします(だってー、教科書に載ってないんだもん。ってこれから調べてみます)。
その「交代浴」を勉強したのは、大学4年の実習の時。
上腕骨(二の腕の骨)を複雑骨折し、末梢の手指まで腫れが起こってしまった品のいいおばあさんのために私のスーパーバイザーJ先生が
「spicaくん。交代浴を説明してあげなさい」
と私に命令しました。
私は、
「はぁ?」
と言ったかどうかは忘れましたが、全く分からなかったので困った顔をしました。
すると先生は本を取り出し
「これを読んでちゃんと方法を説明して教えてあげなさい」
とおっしゃる。
自信ないけど、やるっきゃないってことで、怖々本を覗いたのでした。
品のいいおばあさんはとてもいい方で、私が交代浴について全くわからなくても嫌な顔をせず待ってくれ、私が紙に書いて説明したら喜んでくれました。
それから、週に2回ほど、そのおばあさんはリハビリに来るようになりました。
私が実習させていただいた母校の付属の大学病院のリハ室は大学病院らしく患者さんの入れ替えが激しく、でも大学病院らしからぬアットホームな雰囲気の「居心地の良いところだな」と思える場所でした。
それはJ先生とW先生、それと当時新人だったS先生のお人柄が大いに影響していると思います。
そしてその品のいいおばあさんは、リハビリをしながらのおしゃべりがとても楽しみだったようです。
私やS先生に美味しい蒸しパンの作り方を教えてくださったりしました。
そして骨折した腕を動かす訓練を私が任された時、アメリカ帰りのJ先生は他の患者さんを診ながら
「アイソメトリックで動かすんだぞー」
とおっしゃいました。
それこそ「はぁ?」ですよ。さっぱりわからん。
まあ専門用語はニホンゴでも難しいので仕方ないですが。
その日おばあさんに正しい訓練ができていたかは・・・霧の中(汗)
そんな日々が続いていたのですが。
ある日、おばあさんが悲しい告白をしました。
おばあさんのご主人が末期の大腸がんで手術は不可能なこと。
そのためこれからはつきっきりで看病したいので、家により近い病院に転院すること。
そしておばあさんは泣きました。
「ここでリハビリを受けられるのが楽しみだった。来られなくなるのが悲しい」と。
最後は笑顔でお別れしました。
その後、ご主人がどうなったか、おばあさんの腕の痛みはどうなったかはわかりません。
実習生だったから知ることも出来ないし、先生方も知らないかもしれません。
でも、看病を続けていた時にあのリハ室が「憩いの場」になっていたらいいな、と思います。
今でもお元気でいていただけたらいいな、と思います。
・・・え?なんでそんな話を急にしたかって?
今私もやってるのですよ、「交代浴」!!
どうやってかといいますと・・・。
お風呂に入るとお湯がこぼれる話は書いてますが、そのこぼれる量を最小限にしようと思いついたのが
「肩の交代浴〜♪」
説明しよう、つまりは肩を片方ずつ湯の中に漬けるのであーる。
身体を90°倒して右肩を浸し、温まったら左に替えるのであーる。
・・・嗚呼、バカ丸出し(゜ー゜;Aアセアセ
でもそんなことしてたら、おばあさんのこと思い出せた。
実習は苦しかった。楽なものじゃない。
自律神経症状まで出たくらい(私の場合は頻脈になった。安静時の脈が120、エスカレーターで1階分歩いて昇ったら159まで上がるってどういうことかいな)。
毎朝3時に起きて記録を書いていた。栄養ドリンク片手に。
でも、でも、今となってはいい思い出の宝箱のような時間だったように思う。
いい先生に恵まれ、そしていい患者さんに恵まれた。
ありがたいことだ。
いろんな思い出話があるので、思い出したら書いていきたいです。
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