平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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昨日、亀がチーターを追い越すくらい信じられない行動(そんな、大げさな・・・)を起こした私ですが。
どうしてなんでこの私が「個別指導の塾講師」という仕事を選んだかをお話しようと思います。
だって今日話しておかないと、明日不合格通知が来ちゃったら書く気も失せちゃうでしょ?
ということで、今日は昔話を織り交ぜながら語らせていただきます。
中学校に入って、「算数」が「数学」になりました。
みんなその頃から嫌いになるんですよね、数学を。
私が中学に入って最初の担任だったH先生は、社会科担当なのに
「私がこのクラスの数学嫌いを起こさせない!」
という正義感から(正義感はいいんですが、ちょっと暑すぎたよ・・・H先生。)何故かうちのクラスだけ数学を教えることになりました。
中学に入ると、数字の中に「x」だの「y」だの訳の分からん記号が入るようになりました。
それに私はついていけなかったのです。
わからないことはわかるまで聞くというポリシーを持っていた(今じゃ信じられないけど)私は授業中にH先生を質問攻めにし、それでも納得できず同じ班の頭のいい男の子にバカにされたりしました。
そして中間試験で、平均点53点の数学のテストで46点を取るという失態をおかしました。
大ショックでした。
こりゃいかん、と思って助けを求めた先が、小学校から通っていた(中学に入って部活が始まってからはなかなか行けなかったけど)、教会学校の牧師先生です。
先生はとても頭が良く、でもそれをひけらかさない謙虚さと優しさを持っている素敵な方です。
今でも尊敬しています。
先生は「x」や「y」が使われた難しい(と思っていた)式を、分かりやすく噛み砕いてやさしくして教えてくださいました。
分かってくると、面白い!「問題を解ける」ってこんなに楽しいことなんだ、と知りました。
そして、期末試験では平均点以上を取ることができたのでした。
それから、毎週みこちゃんと私は牧師先生に勉強を教わることになり、授業で分からなかったことは社会科のH先生ではなく(H先生、いい先生です。でもやっぱり数学はわからなかった^^;)教会で徹底的に教えてもらうようになりました。
そして、いつの間にか私は数学大好きに、そして苦手を克服して得意科目になったのでした。
いつも分からないことを納得するまで教え込んでもらった成果か、数学が苦手な友達が私の周りに集まるようになりました。
自分が理解できるまでとことん取り組んだ内容を友達に伝えると、友達はそれを理解してくれ、喜んでくれました。
その中でも、M井さんという子はすごく私を買ってくれ、授業で分からなかった事はみんな私に聞いてくれるようになったのです。
それは高校に入ってからも続きました。
M井さんは私の隣駅の高校。通学中の満員電車の中で高校の数学を教えたこともあります。
試験期間になるとモスバーガーに呼び出され、「一緒に勉強」という名目で数学を教えてました(笑)
こうして、牧師先生とM井さんのおかげで、私は「勉強を教えることって楽しい」と知ったのです。
難しい問題も、一緒に考え、解けた時の喜びの大きさを知ったのです。
いつしか「教師になりたい」と思うようになりました。
それがどうして作業療法士になっちゃったのかは私の中の3大ミステリーのひとつです(笑)
残りの2つはこれから考えます。ミステリアス〜になりたい♪
大学へ入ってから、牧師先生から
「中学1年生の女の子に勉強とフルートを教えてもらえないか」
というお願いをされました。
大喜びで引き受け、数学と英語、そして何故かフルートを教えることになりました。
なんでも、吹奏楽部に入ったものの希望のフルートになれなかったらしく。
2時間のうち50分×2を勉強の時間、そして残りをお茶とフルートの時間にしました。
我が家で教えてたのですが(家庭教師でお宅を訪問するのが憧れだったのに・・・)、その子は我が家に来る日を楽しみにしてくれてたそうです。嬉しかったな。
短い期間だったけど、いい思い出です。
そんなこんなで実は私、勉強を教えるのが大好きなんです。
最初からすらすら問題を解けてたら、こんな境地にはいたらなかったと思います。
今回応募したのも、その気持ちを思い出したからです。
受からなくてもいい。「分からない事があって悩んでいた」時にそっと手を差し伸べてくださった牧師先生のような人に一歩近づけたら・・・と思います。
ああ、また長くなっちゃった〜。
今日の求人広告では全く違う内容のお仕事に心惹かれています(笑)
ともかく、明日からも動けるといいな♪
では、みなさまおやすみなさい。
どうしてなんでこの私が「個別指導の塾講師」という仕事を選んだかをお話しようと思います。
だって今日話しておかないと、明日不合格通知が来ちゃったら書く気も失せちゃうでしょ?
ということで、今日は昔話を織り交ぜながら語らせていただきます。
中学校に入って、「算数」が「数学」になりました。
みんなその頃から嫌いになるんですよね、数学を。
私が中学に入って最初の担任だったH先生は、社会科担当なのに
「私がこのクラスの数学嫌いを起こさせない!」
という正義感から(正義感はいいんですが、ちょっと暑すぎたよ・・・H先生。)何故かうちのクラスだけ数学を教えることになりました。
中学に入ると、数字の中に「x」だの「y」だの訳の分からん記号が入るようになりました。
それに私はついていけなかったのです。
わからないことはわかるまで聞くというポリシーを持っていた(今じゃ信じられないけど)私は授業中にH先生を質問攻めにし、それでも納得できず同じ班の頭のいい男の子にバカにされたりしました。
そして中間試験で、平均点53点の数学のテストで46点を取るという失態をおかしました。
大ショックでした。
こりゃいかん、と思って助けを求めた先が、小学校から通っていた(中学に入って部活が始まってからはなかなか行けなかったけど)、教会学校の牧師先生です。
先生はとても頭が良く、でもそれをひけらかさない謙虚さと優しさを持っている素敵な方です。
今でも尊敬しています。
先生は「x」や「y」が使われた難しい(と思っていた)式を、分かりやすく噛み砕いてやさしくして教えてくださいました。
分かってくると、面白い!「問題を解ける」ってこんなに楽しいことなんだ、と知りました。
そして、期末試験では平均点以上を取ることができたのでした。
それから、毎週みこちゃんと私は牧師先生に勉強を教わることになり、授業で分からなかったことは社会科のH先生ではなく(H先生、いい先生です。でもやっぱり数学はわからなかった^^;)教会で徹底的に教えてもらうようになりました。
そして、いつの間にか私は数学大好きに、そして苦手を克服して得意科目になったのでした。
いつも分からないことを納得するまで教え込んでもらった成果か、数学が苦手な友達が私の周りに集まるようになりました。
自分が理解できるまでとことん取り組んだ内容を友達に伝えると、友達はそれを理解してくれ、喜んでくれました。
その中でも、M井さんという子はすごく私を買ってくれ、授業で分からなかった事はみんな私に聞いてくれるようになったのです。
それは高校に入ってからも続きました。
M井さんは私の隣駅の高校。通学中の満員電車の中で高校の数学を教えたこともあります。
試験期間になるとモスバーガーに呼び出され、「一緒に勉強」という名目で数学を教えてました(笑)
こうして、牧師先生とM井さんのおかげで、私は「勉強を教えることって楽しい」と知ったのです。
難しい問題も、一緒に考え、解けた時の喜びの大きさを知ったのです。
いつしか「教師になりたい」と思うようになりました。
それがどうして作業療法士になっちゃったのかは私の中の3大ミステリーのひとつです(笑)
残りの2つはこれから考えます。ミステリアス〜になりたい♪
大学へ入ってから、牧師先生から
「中学1年生の女の子に勉強とフルートを教えてもらえないか」
というお願いをされました。
大喜びで引き受け、数学と英語、そして何故かフルートを教えることになりました。
なんでも、吹奏楽部に入ったものの希望のフルートになれなかったらしく。
2時間のうち50分×2を勉強の時間、そして残りをお茶とフルートの時間にしました。
我が家で教えてたのですが(家庭教師でお宅を訪問するのが憧れだったのに・・・)、その子は我が家に来る日を楽しみにしてくれてたそうです。嬉しかったな。
短い期間だったけど、いい思い出です。
そんなこんなで実は私、勉強を教えるのが大好きなんです。
最初からすらすら問題を解けてたら、こんな境地にはいたらなかったと思います。
今回応募したのも、その気持ちを思い出したからです。
受からなくてもいい。「分からない事があって悩んでいた」時にそっと手を差し伸べてくださった牧師先生のような人に一歩近づけたら・・・と思います。
ああ、また長くなっちゃった〜。
今日の求人広告では全く違う内容のお仕事に心惹かれています(笑)
ともかく、明日からも動けるといいな♪
では、みなさまおやすみなさい。
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