平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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本日、いつもと違う部屋へ行きました。
初対面のその穏やかそうな女性は
「リンショウシンリシの○○です」
と名乗られました。
私は
「先日はお約束の日に来られなくて申し訳ありませんでした」
と言いました。
私の今までの通院・転院歴を簡単に言うと
千葉県内某大学病院
↓
その病院ではカウンセリングができないということでカウンセリングが受けられるクリニックへ転院
受診は2週に一度、カウンセリングはほぼ月一度だったがあまり合わなかった
↓
意を決して大学の健康管理センターの門を叩く
おふたりの臨床心理士の先生にお世話になる
↓
そのふたりめの先生に大学敷地内にあるホ○リ大学病院の先生を紹介され、授業を受けたドクター(ドラえもんとかアニメのキャラクターの絵を描くのが上手な先生だった)に診てもらうようになる
↓
大学卒業後千葉に戻っても月に2回神奈川まで通っていたが、就職を機に近くの病院へ転院、今日までカウンセリングは一切受けず
という経過です。
大学時代はスクールカウンセラーの先生だったので、一切費用はかかりませんでした。
そして、ぼろぼろだった頃の私が週に一度健康管理センターに行くと元気になって戻ってくるとお世話になったリハビリの先生方も認めるくらい、「カウンセリング」は私にとって大事な時間でした。
でも、今の病院に転院した当時、カウンセラーの先生は病院に常駐していなかったこともあり、ずっとドクターとの会話(はっきり言って劇的に元気にはなれない。でも悪いわけでもないからずるずると)だけでもう5年近く経ってしまいました。
でも、最近自分で元気を取り戻しつつある今だからこそカウンセリングを受けたらどうかとドクターに言われたのです。
どん底の頃よりきっと良い効果があるだろう、と。
そしてカウンセラーの先生も水曜日は常駐だから、と。
正直迷った。
学生の時とは違って、保険適用外の料金がかかる。
良い方向に行くならするべきかもしれない投資だけど、本当に必要なのか?
もう私はカウンセラーのお世話から離れて5年だぞ、と。
迷っていた上に最近不調だったこともあり、ドクターがちょっぴり勝手に決めた予約日に、私は行けなかったのです。
で、今日開口一番に謝った訳です。
良い先生だと思いました。
勿論初日から落ち込むようなことは言われないとは思ったけれど、優しかった。
「ちゃんと予約日に行けなかった電話ができて、そしてちゃんと最初に謝ることができるのがわかって、ああ、ちゃんと考えて行動できる人なんだと思いましたよ」
と言われた。
病院も仕事も、休んでしまったことを悪く評価する自分がいるのは間違いないけれど、その後ちゃんとそのフォローをした自分も評価すべきだ、と。
どうやら私は、「休む」ことに罪悪感を感じる人間になっていたらしい。
(なんてったって小中学皆勤賞)
でも、マッチョでモリモリな人も乳酸貯まって休むこともある。
休むことを悪いと考えすぎていたんだな。
これ、本日の収穫。
今後、一体自分が何を話すのか、少し楽しみになった。
泣くかもしれないしね(笑)
回り道回りまくってる人生だから、どうまとめてお伝えすればいいか悩み中。
まあ今悩んでも仕方ないんだけど。
あと、今後について「今は、カウンセリング『頼りすぎ』る場所にはしたくないです」とはお伝えしました。
タイトルは、私と先生の位置関係のことです。
向かい合う位置は緊張感が増し、並んで話せる(180°)のは相当仲が良くないとできないのです。
試験の面接だと張りつめた気分になるし、逆にカップルがファミレスでも向かい合わずに横顔見せ合いながら並んでご飯を食べるのはそれだけ精神的距離が近いということです(ちょっと豆知識)
緊張せず、ほどよい距離感で話せるのが、机の角をはさんだ90°の、目線の高さが同じ位置。
自分が治療者・検者の時はよく使ったけど、患者としては初めてだったなと思い、表題にしてみました。
初対面のその穏やかそうな女性は
「リンショウシンリシの○○です」
と名乗られました。
私は
「先日はお約束の日に来られなくて申し訳ありませんでした」
と言いました。
私の今までの通院・転院歴を簡単に言うと
千葉県内某大学病院
↓
その病院ではカウンセリングができないということでカウンセリングが受けられるクリニックへ転院
受診は2週に一度、カウンセリングはほぼ月一度だったがあまり合わなかった
↓
意を決して大学の健康管理センターの門を叩く
おふたりの臨床心理士の先生にお世話になる
↓
そのふたりめの先生に大学敷地内にあるホ○リ大学病院の先生を紹介され、授業を受けたドクター(ドラえもんとかアニメのキャラクターの絵を描くのが上手な先生だった)に診てもらうようになる
↓
大学卒業後千葉に戻っても月に2回神奈川まで通っていたが、就職を機に近くの病院へ転院、今日までカウンセリングは一切受けず
という経過です。
大学時代はスクールカウンセラーの先生だったので、一切費用はかかりませんでした。
そして、ぼろぼろだった頃の私が週に一度健康管理センターに行くと元気になって戻ってくるとお世話になったリハビリの先生方も認めるくらい、「カウンセリング」は私にとって大事な時間でした。
でも、今の病院に転院した当時、カウンセラーの先生は病院に常駐していなかったこともあり、ずっとドクターとの会話(はっきり言って劇的に元気にはなれない。でも悪いわけでもないからずるずると)だけでもう5年近く経ってしまいました。
でも、最近自分で元気を取り戻しつつある今だからこそカウンセリングを受けたらどうかとドクターに言われたのです。
どん底の頃よりきっと良い効果があるだろう、と。
そしてカウンセラーの先生も水曜日は常駐だから、と。
正直迷った。
学生の時とは違って、保険適用外の料金がかかる。
良い方向に行くならするべきかもしれない投資だけど、本当に必要なのか?
もう私はカウンセラーのお世話から離れて5年だぞ、と。
迷っていた上に最近不調だったこともあり、ドクターがちょっぴり勝手に決めた予約日に、私は行けなかったのです。
で、今日開口一番に謝った訳です。
良い先生だと思いました。
勿論初日から落ち込むようなことは言われないとは思ったけれど、優しかった。
「ちゃんと予約日に行けなかった電話ができて、そしてちゃんと最初に謝ることができるのがわかって、ああ、ちゃんと考えて行動できる人なんだと思いましたよ」
と言われた。
病院も仕事も、休んでしまったことを悪く評価する自分がいるのは間違いないけれど、その後ちゃんとそのフォローをした自分も評価すべきだ、と。
どうやら私は、「休む」ことに罪悪感を感じる人間になっていたらしい。
(なんてったって小中学皆勤賞)
でも、マッチョでモリモリな人も乳酸貯まって休むこともある。
休むことを悪いと考えすぎていたんだな。
これ、本日の収穫。
今後、一体自分が何を話すのか、少し楽しみになった。
泣くかもしれないしね(笑)
回り道回りまくってる人生だから、どうまとめてお伝えすればいいか悩み中。
まあ今悩んでも仕方ないんだけど。
あと、今後について「今は、カウンセリング『頼りすぎ』る場所にはしたくないです」とはお伝えしました。
タイトルは、私と先生の位置関係のことです。
向かい合う位置は緊張感が増し、並んで話せる(180°)のは相当仲が良くないとできないのです。
試験の面接だと張りつめた気分になるし、逆にカップルがファミレスでも向かい合わずに横顔見せ合いながら並んでご飯を食べるのはそれだけ精神的距離が近いということです(ちょっと豆知識)
緊張せず、ほどよい距離感で話せるのが、机の角をはさんだ90°の、目線の高さが同じ位置。
自分が治療者・検者の時はよく使ったけど、患者としては初めてだったなと思い、表題にしてみました。
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