平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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2日間、熱出したり頭痛すぎたり何故か泣いたりしておりました。
だから本当はブルーな内容を書くはずだったのですが、今はブルーじゃないのでやめます。
思い出話に急遽変更です。気分屋でごめんなさいね。
最近スキマスイッチのアルバムばかり聴いているのですが、実は一番好きなアルバムは持っていません。(だって貧しい生活なんだもの〜♪)
聴いているのは一番新しいので、好きなのは一番最初の。
その最初のアルバムの中の一曲が、タイトルの「えんぴつケシゴム」です。
大曲ではないんだけど、私にとってはかなりのツボヒット曲なのです。
歌詞は著作権とかで引用して良いのかわからないのでこちらをご参照下さい。
だいぶ違うようででも似たような経験を、私はしました。小学校の時に。
「イロコイ」の話は昔から誰にもしなかった私が告白するんですから、これ読んだ皆さんラッキーかもしれませんよ〜。
まあ「イロコイ」という言葉を当てはめるにはあまりにも幼稚なんですが・・・
小学校に入って、私はDちゃんと同じクラスになりました。
幼稚園も一緒だったんだけどクラスが違ったので、それまで接点はありませんでした。
Dちゃんは、4月1日生まれで、色が白くて、ちっちゃくて可愛い男の子でした。
しょっちゅう同じ班になり、信じられないかもしれませんがその頃はリーダーシップなんて取っていた私はたいがい班長で(自分で書いても信じられない(^◇^;)、Dちゃんは班長を支える忠臣でした。
いつも仲が良くて、席が隣になるとふたりでおしゃべりしすぎるくらいしゃべってました。
図工の時間に、反対側の男の子がDちゃんとばかり話す私をやっかんで、私が描いていた絵の中の人の顔を塗りつぶして私が大泣きする事件が発生し、図工の時間が急遽学級会になったこともありました(笑)
結局絵の中の人物の顔の修正は不可能だったのに、その絵で県展佳作を取るという「図工美術3人生」の私の唯一の金星になったのですが・・・
しょっちゅう同じ班になったので、クラス会前の「班の集まり」もしょっちゅう一緒になりました。
班長(面)の私は、進んで自分の家を「班の集まり」会場にしました。
今思えばこんなボロ家に何故みんなを呼んだのかわからないのですが。
とあるクラス会で、我が班は「3匹の小ぶた」を演じることになりました。
ところが、班の皆さん小ぶたのお面は率先して作るのに、肝心要の「家」を作ってくれない。
(当然っちゃ当然だけど)
3軒の「家」だけ完成しないまま、その日は解散、もうすぐ本番。
翌日の日曜日。
Dちゃんだけ来てくれたの!
私と我が家の父と祖父とDちゃんで、段ボールで家造り。
ところが、「3匹の小ぶた」の内容を知らなかった父と祖父(しかも祖父は大工)、藁の家も木の家もめちゃくちゃ頑丈に作っちゃったのでした(笑)
でも出来映えは良かったらしく、クラス会終了後は「家の取り合い」になったそうです。
これ父の記憶です。私は全く覚えていないのです^^;
私が覚えているのは、困った班をなんとかしようと、Dちゃんが手伝いに来てくれた。それだけ。
その後もなにかとあった「班の集まり」。
もうひとつ覚えているエピソードは、「班の集まり」終了後もDちゃんだけ残って、ふたりで遊んだこと。
ところがその日は合唱団の日で、練習が始まる前に我が家に当たり前に寄っていたみこちゃん(再登場♪)が来てしまい、私はなんだか恥ずかしくて慌ててDちゃんをちょうど飾ってあった雛人形の「ひな壇の下」に隠れさせたのでした。
ばれたんですけど。
なんでしょうね。あの気恥ずかしさは。
4年生になっても、同じクラスでした。
やっぱり同じ班になりよくしゃべり、近くの席のおいちゃんに「仲良しだねえ」と呆れられたけど、私はDちゃんは可愛い弟分くらいにしか思っていませんでした。
そして、「えんぴつケシゴム」っぽい事件が。
その頃流行った「カード式ボールペン」をDちゃんが持っていたのです。
テレホンカードサイズにボールペン2色がはめ込まれたやつ。
Dちゃんは、ちょっと得意げでした。
私は、ちょっとうらやましかったのでした。
なので、ちょくちょく借りました。
「まるつけするから貸して」って感じで。
そして・・・壊しました。
偶然ぶつけてしまい、フレーム部分を割ってしまったのです。
「カードの中にはめ込む」から便利で、かっこよくて、楽しいのに、私はそのカードを壊してしまった。
Dちゃんはちょっと複雑そうだったけど、すぐに許してくれました。
Dちゃんの優しさが、逆に私を申し訳なさでいっぱいにしました。
それ以降のDちゃんとの日々の記憶は、私にはありません。
5年生になって初めてDちゃんと別々のクラスになり、その後しばらくして関西に引っ越してしまったのです。
「男の子と女の子はクラスが変わったらもう話さない」みたいな暗黙のルール(もしかしたら私だけかもしれないけど)で、転校する先の住所も聞けませんでした。
だから、小学校の卒業アルバムには、Dちゃんはいません。
私が持っているのは、幼稚園の卒業アルバムの最前列の真ん中に座っている小さなDちゃんの写真だけ。
その後私も「カード式ボールペン」を手に入れたけれど、お詫びと一緒にDちゃんにそれを渡すことは、できませんでした。
私の中でDちゃんは、ちっちゃいままです。
私よりも身長が低くて、はしっこくて、声が女の子みたいに可愛くて、しょうもない班長の忠臣。
今はきっと声変わりして、背もすごく高くなってるかもしれないし、私よりずっと頼れる人になってるに違いないけど、そんなDちゃんを上手く想像できない私です。
いつか会えたらいいな。
「ありがとう」と「ボールペンごめんね」を言えたらいいな。
ずっと昔の、私の「えんぴつケシゴム」のお話です。
余談:
父は昔、選挙で誰に投票したらいいかわからなかった(おそらく魅力的な人がいなかったんだろうと思う)時に、Dちゃんのフルネームを記入したことがあるそうです(笑)
父よ・・・なにゆえ??
だから本当はブルーな内容を書くはずだったのですが、今はブルーじゃないのでやめます。
思い出話に急遽変更です。気分屋でごめんなさいね。
最近スキマスイッチのアルバムばかり聴いているのですが、実は一番好きなアルバムは持っていません。(だって貧しい生活なんだもの〜♪)
聴いているのは一番新しいので、好きなのは一番最初の。
その最初のアルバムの中の一曲が、タイトルの「えんぴつケシゴム」です。
大曲ではないんだけど、私にとってはかなりのツボヒット曲なのです。
歌詞は著作権とかで引用して良いのかわからないのでこちらをご参照下さい。
だいぶ違うようででも似たような経験を、私はしました。小学校の時に。
「イロコイ」の話は昔から誰にもしなかった私が告白するんですから、これ読んだ皆さんラッキーかもしれませんよ〜。
まあ「イロコイ」という言葉を当てはめるにはあまりにも幼稚なんですが・・・
小学校に入って、私はDちゃんと同じクラスになりました。
幼稚園も一緒だったんだけどクラスが違ったので、それまで接点はありませんでした。
Dちゃんは、4月1日生まれで、色が白くて、ちっちゃくて可愛い男の子でした。
しょっちゅう同じ班になり、信じられないかもしれませんがその頃はリーダーシップなんて取っていた私はたいがい班長で(自分で書いても信じられない(^◇^;)、Dちゃんは班長を支える忠臣でした。
いつも仲が良くて、席が隣になるとふたりでおしゃべりしすぎるくらいしゃべってました。
図工の時間に、反対側の男の子がDちゃんとばかり話す私をやっかんで、私が描いていた絵の中の人の顔を塗りつぶして私が大泣きする事件が発生し、図工の時間が急遽学級会になったこともありました(笑)
結局絵の中の人物の顔の修正は不可能だったのに、その絵で県展佳作を取るという「図工美術3人生」の私の唯一の金星になったのですが・・・
しょっちゅう同じ班になったので、クラス会前の「班の集まり」もしょっちゅう一緒になりました。
班長(面)の私は、進んで自分の家を「班の集まり」会場にしました。
今思えばこんなボロ家に何故みんなを呼んだのかわからないのですが。
とあるクラス会で、我が班は「3匹の小ぶた」を演じることになりました。
ところが、班の皆さん小ぶたのお面は率先して作るのに、肝心要の「家」を作ってくれない。
(当然っちゃ当然だけど)
3軒の「家」だけ完成しないまま、その日は解散、もうすぐ本番。
翌日の日曜日。
Dちゃんだけ来てくれたの!
私と我が家の父と祖父とDちゃんで、段ボールで家造り。
ところが、「3匹の小ぶた」の内容を知らなかった父と祖父(しかも祖父は大工)、藁の家も木の家もめちゃくちゃ頑丈に作っちゃったのでした(笑)
でも出来映えは良かったらしく、クラス会終了後は「家の取り合い」になったそうです。
これ父の記憶です。私は全く覚えていないのです^^;
私が覚えているのは、困った班をなんとかしようと、Dちゃんが手伝いに来てくれた。それだけ。
その後もなにかとあった「班の集まり」。
もうひとつ覚えているエピソードは、「班の集まり」終了後もDちゃんだけ残って、ふたりで遊んだこと。
ところがその日は合唱団の日で、練習が始まる前に我が家に当たり前に寄っていたみこちゃん(再登場♪)が来てしまい、私はなんだか恥ずかしくて慌ててDちゃんをちょうど飾ってあった雛人形の「ひな壇の下」に隠れさせたのでした。
ばれたんですけど。
なんでしょうね。あの気恥ずかしさは。
4年生になっても、同じクラスでした。
やっぱり同じ班になりよくしゃべり、近くの席のおいちゃんに「仲良しだねえ」と呆れられたけど、私はDちゃんは可愛い弟分くらいにしか思っていませんでした。
そして、「えんぴつケシゴム」っぽい事件が。
その頃流行った「カード式ボールペン」をDちゃんが持っていたのです。
テレホンカードサイズにボールペン2色がはめ込まれたやつ。
Dちゃんは、ちょっと得意げでした。
私は、ちょっとうらやましかったのでした。
なので、ちょくちょく借りました。
「まるつけするから貸して」って感じで。
そして・・・壊しました。
偶然ぶつけてしまい、フレーム部分を割ってしまったのです。
「カードの中にはめ込む」から便利で、かっこよくて、楽しいのに、私はそのカードを壊してしまった。
Dちゃんはちょっと複雑そうだったけど、すぐに許してくれました。
Dちゃんの優しさが、逆に私を申し訳なさでいっぱいにしました。
それ以降のDちゃんとの日々の記憶は、私にはありません。
5年生になって初めてDちゃんと別々のクラスになり、その後しばらくして関西に引っ越してしまったのです。
「男の子と女の子はクラスが変わったらもう話さない」みたいな暗黙のルール(もしかしたら私だけかもしれないけど)で、転校する先の住所も聞けませんでした。
だから、小学校の卒業アルバムには、Dちゃんはいません。
私が持っているのは、幼稚園の卒業アルバムの最前列の真ん中に座っている小さなDちゃんの写真だけ。
その後私も「カード式ボールペン」を手に入れたけれど、お詫びと一緒にDちゃんにそれを渡すことは、できませんでした。
私の中でDちゃんは、ちっちゃいままです。
私よりも身長が低くて、はしっこくて、声が女の子みたいに可愛くて、しょうもない班長の忠臣。
今はきっと声変わりして、背もすごく高くなってるかもしれないし、私よりずっと頼れる人になってるに違いないけど、そんなDちゃんを上手く想像できない私です。
いつか会えたらいいな。
「ありがとう」と「ボールペンごめんね」を言えたらいいな。
ずっと昔の、私の「えんぴつケシゴム」のお話です。
余談:
父は昔、選挙で誰に投票したらいいかわからなかった(おそらく魅力的な人がいなかったんだろうと思う)時に、Dちゃんのフルネームを記入したことがあるそうです(笑)
父よ・・・なにゆえ??
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