平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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もう昔のことになりつつあるけれど。
私がリハビリ屋として働いていた頃、同期で入職した介護福祉士さんの中に「ショウコさん」がいた。
ショウコさんと私にはとある共通点があった。
私は「ショウコ」じゃないけど、名前が同じだったのです。
(言っていることが矛盾してますが気にしないで下さいマセ)
その共通点をお互い知った途端、「ショウコさん」は私に親近感を持ってくれた。
「ショウコさん」は私よりふたつ年上だけど、私も仲良くなりたいと思ったので、仕事が終わった後一度食事に行ったことがありました。
ふたりで、いろんなことを話した。内容は忘れちゃったけど、1杯だけ飲んだビールが美味しかったことは覚えてます。
そして、連絡先を交換した。
「ショウコさん」は携帯を持っていなかった。
その後何度か、我が家に電話がかかってきて(現代っ子には考えられないだろうけど)、やっぱりいろんなことを話したような気がする。
多分、「ショウコさん」の方が積極的だった(アプローチされた訳じゃないですよ)。
でも、ふたつ上のはずの「ショウコさん」は年下の私に対して必ず敬語を使った。
「友達」とは違うのかな、とおぼろげに感じた。
そんな中、職場で私のことを「先生」と呼ぶことが介護職員の間で決定した。
私は、辛かった。
「リハビリ」については確かに介護職の方よりも知識はあったし、私は「指導する側」であったかもしれない。
でも、私は「先生」と呼ばれる形で「特別な存在」になりたくなかった。
私だけ白衣が支給されたけど、介護職の皆さんと同じ制服が着たかった。
そして、介助法など教える立場にあるはずだった私だけれど、介護職の皆さんの方がよっぽど経験を積んでいた上、皆さんには支給されていた排泄介助の際使用するエプロンが私にはなかったこともあり、私は利用者さん達のお手洗いの手伝いができなかった。
そんな私が何故「先生」と呼ばれなきゃいけないのか。
辛くて、「ショウコさん」に相談したら
「あなたは、先生なんです。
上の先生やケアワーカー長が決めたなら、私達はあなたをそう捉えなきゃいけないんですよ」
と優しいけど厳しく言われた。
私は、そんな人間じゃないのに。
でも、「ショウコさん」の言うことは、間違っていなかった。
辞めてから、「ショウコさん」とは一切連絡を取っていない。
きっと、「ショウコさん」は苦しかった時期の私に無理させないよう気遣ってくれたんだろう。
月日はあっという間に過ぎ、私は「ショウコさん」の苗字を忘れてしまった。
そして今、私の働く「あるまいにぃ」の隣のフォアグラ屋に、「ショウコさん」とうりふたつの方が働いている。
初めて会った時、私はびびった。
本当に「ショウコさん」だと思った程。
だけど、別人だった。
とても良い方で、明るくて優しくて可愛い。
でもいつもその方の顔を見るたび、「ショウコさん」を思い出してしまう。
勿論、もう思い出の中の「ショウコさん」だけど。
来月、退職することになったらしい。
いつもいつも、優しく、親切に接してくれてありがとうございました、と言えたらいいな。
それから、いつか本物の「ショウコさん」に「spicaは元気ですよ」と報告出来る日が来ることを願いたい。
私がリハビリ屋として働いていた頃、同期で入職した介護福祉士さんの中に「ショウコさん」がいた。
ショウコさんと私にはとある共通点があった。
私は「ショウコ」じゃないけど、名前が同じだったのです。
(言っていることが矛盾してますが気にしないで下さいマセ)
その共通点をお互い知った途端、「ショウコさん」は私に親近感を持ってくれた。
「ショウコさん」は私よりふたつ年上だけど、私も仲良くなりたいと思ったので、仕事が終わった後一度食事に行ったことがありました。
ふたりで、いろんなことを話した。内容は忘れちゃったけど、1杯だけ飲んだビールが美味しかったことは覚えてます。
そして、連絡先を交換した。
「ショウコさん」は携帯を持っていなかった。
その後何度か、我が家に電話がかかってきて(現代っ子には考えられないだろうけど)、やっぱりいろんなことを話したような気がする。
多分、「ショウコさん」の方が積極的だった(アプローチされた訳じゃないですよ)。
でも、ふたつ上のはずの「ショウコさん」は年下の私に対して必ず敬語を使った。
「友達」とは違うのかな、とおぼろげに感じた。
そんな中、職場で私のことを「先生」と呼ぶことが介護職員の間で決定した。
私は、辛かった。
「リハビリ」については確かに介護職の方よりも知識はあったし、私は「指導する側」であったかもしれない。
でも、私は「先生」と呼ばれる形で「特別な存在」になりたくなかった。
私だけ白衣が支給されたけど、介護職の皆さんと同じ制服が着たかった。
そして、介助法など教える立場にあるはずだった私だけれど、介護職の皆さんの方がよっぽど経験を積んでいた上、皆さんには支給されていた排泄介助の際使用するエプロンが私にはなかったこともあり、私は利用者さん達のお手洗いの手伝いができなかった。
そんな私が何故「先生」と呼ばれなきゃいけないのか。
辛くて、「ショウコさん」に相談したら
「あなたは、先生なんです。
上の先生やケアワーカー長が決めたなら、私達はあなたをそう捉えなきゃいけないんですよ」
と優しいけど厳しく言われた。
私は、そんな人間じゃないのに。
でも、「ショウコさん」の言うことは、間違っていなかった。
辞めてから、「ショウコさん」とは一切連絡を取っていない。
きっと、「ショウコさん」は苦しかった時期の私に無理させないよう気遣ってくれたんだろう。
月日はあっという間に過ぎ、私は「ショウコさん」の苗字を忘れてしまった。
そして今、私の働く「あるまいにぃ」の隣のフォアグラ屋に、「ショウコさん」とうりふたつの方が働いている。
初めて会った時、私はびびった。
本当に「ショウコさん」だと思った程。
だけど、別人だった。
とても良い方で、明るくて優しくて可愛い。
でもいつもその方の顔を見るたび、「ショウコさん」を思い出してしまう。
勿論、もう思い出の中の「ショウコさん」だけど。
来月、退職することになったらしい。
いつもいつも、優しく、親切に接してくれてありがとうございました、と言えたらいいな。
それから、いつか本物の「ショウコさん」に「spicaは元気ですよ」と報告出来る日が来ることを願いたい。
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