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平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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サブタイトルは



「〜B型だっていい奴いるのよ〜」



でお願いいたします。







これもずーっと書きたいと思っていたことでした。

ようやく念願かなって?PCに向かっております。

上手く書けるかは解りませんが、お暇な方は読んでやって下さいな。





私は、おそらくB型です。

最近は赤ちゃん出生直後に血液型を調べることはしないらしいですね。

お母さんの血液と混じっていて間違った血液型に反応する可能性があるからとか。

私が産まれた頃はそんなことは言われておらず、産まれた時から「私はB型」とされた為、出生から28年たった現在でもB型を堂々と(?)名乗っております。

但し、私にとって「B型」とは血液型の分類でこれに当てはまるということ以上にあまり意味はありません。

もし私に輸血が必要な事態が起こった時に間違えないでね、程度のレベル。





そんな私ですが、誰からも「B型に見えない」と言われることに最近気づいてきました。

面白かったのが、「あるまいにぃ」所属の皆さんの反応。



社員のSさんとフルタイムのOさんには



「よっしーは良い意味でB型に見えない!」



と言われ。

そしてもっと面白かったのが、派遣のSさん。

私の血液型を聞く前に



「私さあ、B型の人とはとことん相性悪くてさあ、付き合ってられないんだ」



と言った後私がB型だと伝えたら一瞬無言になり、その後しばらくはふたりの間に血液型の会話は持ち込まれなくなりました(笑)

でも、そんな派遣のSさんと私は、仲良しです。

おそらくSさん的にも私はB型の常識を覆した存在になる・・・かもしれません。





ここまで話して何が言いたいかといいますと、私がB型に見えないかどうかよりもB型=変わり者だとか短気だとか腹黒いとかなんでもそういう前提が、おそらく多くの人にあるのではないか?ということです。

当然その「多くの人」は他の血液型にもいろんな性格傾向を当てはめて考えている訳で。

例えばO型だとおおらかで、AB型だと二重人格で芸術家だとか。

大学時代のB型仲間は、どこからみても良い人間の規範のような子なのに



「腹黒仲間じゃん、B型だし〜」



なんてどこかあきらめたような言い方をしていました(^◇^;

そう、なにかと「B型」というだけで人はどこか悪いイメージを持ってしまっていないか?とずっとずっと疑問に思っているのです。

その人が人間として成長する過程で作られた性格に血液型を絡めて考える人があまりに多くないか?と少々哀しく思ったりもしているのです。





現在の心理学の世界では、人間の性格形成に血液型は全く影響しないと言われているそうです。

これは大学の心理学の先生が断固としておっしゃっていました。

でも、新しい意見として、脳の血管を流れる血液が、少なからず脳の形成に影響するのではないかという考え方も全くない訳ではないらしいと昔テレビ(確か「回復!スパスパ人間学」という番組)で知りました。

でも、まだ科学的に証明された訳ではないのです。

それなのに人は、血液型で性格を決めつけてしまう。

勿論「悪いこと」ではないけれど、「正しいこと」とも言い切れないんじゃないのか?

と悩んでしまうのです。

4つの血液型で世間一般に「一番性格悪い」とされるB型の私は(笑)





いや、性格悪くたっていいんです。

でもそれを血液型のせいにしないで欲しいというのが、私が一番言いたいことなのかもしれません。

小学校の時、クラスメートにものすごく怒りっぽい女の子がいました。

結構仲が良かったのだけど、私も時々彼女の「怒り」の対象になったこともありました。

そして、その子は自分の性格を



「B型だから短気なんだよ、しょうがないじゃん」



みたいにいつも話してました。

自分の性格を認めるのは良いことだけど、それを「B型」のせいにするのは、ちょっとずるいんじゃないかと私はその時も思っていたのでした。

自分のせいじゃなく、自分の責任じゃなく、血液型のせい。

それって、「逃げ」だよね?「言い訳」だよね?違うかなあ?

同じB型として複雑な思いを抱えてから、もう15年も経っちゃったよ。







最後に、「B型だっていい奴いるのよ」と言っておきながら、私はそんなに良い人間じゃないことだけ付け加えておきます(笑)

いろんな性格があっていいんだもん。ね。

人の血液型を全く覚える気がない(聞く気はあるんだよ)、小市民の言い分でした。

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これだけはちゃんと言える人間になりたいです。

逃げずに。隠さずに。偽らずに。







◆読んで下さった方へ(特に原文を読んじゃった方へ)



若干、「怒ってる」いや「怒ってた」部分は消しました。

気が晴れたのかな?

はい、晴れました。イライラ虫は駆除できました。

ご心配おかけしてすみません。

元気にまいります。

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この記事、実はもう1年位前から書きたいと思っていたんです。

でも、きっかけがなかったり、「視野の狭い人間」と思われるのが怖かったり、他に書くことがいっぱいあったりで後回し後回しにしていました。

でも、今日は書いてみようと思います。重い腰を上げて。



私は、煙草を吸いません。

なので、この文章に説得力はないかもしれません。

私の友人にも喫煙者は偶然にもあまりおらず、そのことで説得力のなさを更に倍増させてしまう可能性があると思います。

でも、自称「気弱な嫌煙家・但しマナーを守る方は好感度UPする」私が、私なりに今の社会に訴えることはできるかもしれません。

ということで、書きます。

もし、偏見など混ざっていたら、ご指摘いただけると幸いです。

煙草は、「嗜好品」です。

ただ、残念なことに私が好きな「お茶」や「お酒」などと違い、健康を害する恐れが非常に高い商品であることは確かです。

でも、健康を害する以上に、リラックス効果や集中力を高める効果、心身をリフレッシュする作用も大きいから、その良い作用を求める愛煙家も多いわけです。

でも、「副流煙」という煙も同時に発生するため、吸わない人の健康まで害する恐れがあることも否めない事実です。

だからといって、愛煙家の方を社会から締め出すなんて、やはりおかしいです。

現在、煙草の害ばかり声高にうたわれ、煙草には高額の税金がかかり、しかもあらゆる路線で駅構内全面禁煙にしたりするなど、愛煙家の皆さんには少々生きにくい世の中になってきているのは確か。

喫煙者も、非喫煙者も、うまく共生し、意見を押しつけ合うのではなく尊重し合える世の中になって欲しい、それが私の願いです。

でも、やはりマナーは守りましょうと言いたい。

そういういい世の中になるために。

ということで、私が日々感じていることを挙げてみたいと思います。





◆こうして欲しいこと4箇条◆



?街は灰皿ではありません



煙草を吸う方の中には、歩行喫煙される方も少なくありません。

そして、歩行喫煙する方のほとんどは、「携帯灰皿」を持っていません。

持っていたとしても、吸い殻を収納するだけで、吸っている時に発生する「灰」は何故か公共の道路に落としている様子は多々目撃されます。

歩行喫煙するなら、歩行する速度と同じ速さで灰皿も歩行させてください。

街中で吸いたいのなら、1?でも1坪でもいいから土地を買い「セルフ喫煙所」を作って下さい。

そして、人混みの中で吸うのは、正直言語道断です。

あなたが火を点け、人差し指と中指の間に挟んだ棒には(もし薬指と小指の間に挟んでいたらちょっと拍手しますが^^;)、高い熱を持っているんですよ。

その高い熱を持った棒に、いつ誰がぶつかるか解りません。

危険極まりないことは、やめましょう。

当然ですが、街中の灰皿以外の場所に吸い殻を捨てることは、許されません。

私個人の経験では、噴水の水で火を消した人を見て2ヶ月の淡い恋が冷めました。

吸い殻を自己管理できない場所で吸うのは、間違いです。





?小さい子供の周りで吸う時は、細心の注意を払いましょう



副流煙は、吸っていない人にとっては害です。

大人であれば、煙草を吸わない人でも現代の空気が汚染された環境にいるので肺はとっくに汚れています。だから私の前では全然構いません。

でも、子供達には、まだ綺麗な肺がある。

それを大人の都合で、綺麗なままで済むはずの肺を汚してしまうのは可哀想です。

自分の吐いた煙の行き先に気をつけながら吸って下さいね。





?「禁煙」の場所で吸うのは間違いです



私自身、鉄道各社が駅構内を全面禁煙するのは反対ではありません。

でも、それを破る人がいるのです。

禁煙のホームで吸う人を、何度も目撃しました。

正直がっかりします。

でも、こうして「喫煙は害だから」という社会の風潮に乗って愛煙家の皆さんがすごしにくくしている世の中にも、問題がないとは思いません。

なので、次の提案をしたいと思います。





?駅の入り口付近に「喫煙コーナー」を設けて下さい



私が仕事帰りに駅を出た途端、必ずひとりかふたり、灰皿のないところで堂々と煙草を吸っていらっしゃいます。

これから電車に乗るのかはわかりませんが、もし電車に乗るのであれば、駅構内全面禁煙の場所に入る前に一服したいのは当然の心理でしょう。

でも、そこは「喫煙所」ではない。

気持ちはわかっても、マナー違反には違いありません。

そこで私は、駅に入る前に煙草を吸える場所を設けたらどうかと思うのです。

勿論、分煙をきちんとして。

気兼ねなく美味しい煙草を吸ってから電車に乗れれば、ホームなどで吸う人も減るのではないでしょうか。

そして、「マナー違反だ!」と目くじらを立てる人も減るのではないでしょうか。





私は、煙草を吸う人吸わない人どちらもが生きやすい世の中になってほしいのです。

害があるから絶対やめろ!なんてことは言いません。

私がお酒やお茶、甘い物などで元気をもらうのとそんなに変わらないのですから。

でも、やはりマナーを守らない人が多いから、煙草を吸わない人はムキになって言うんだと思います。

確か、千代田区が日本で初めて「ポイ捨て禁止条例」を作った時、その取り締まりをしていたのは愛煙家の皆さんだったと聞いた記憶があります。

煙草を吸わない私がとやかく言うんじゃ説得力はありません。

愛煙家同士でマナーについて話し合う機会を持ってもらえた方がずっと効果があると思います。

でも・・・吸い過ぎは、やめてね。

皆さん元気に生きて欲しいんですもの。

うまく言えませんでしたが、今日は書いたことに満足して寝ます。

もしかしたら書き直すかもしれませんが・・・。

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すみません、しばらくサボっていました。

無事に生きてます。





本当はすごーくすごーく楽しい一日だったはずの14日。

おそらく、18:45までは楽しくて、幸せ気分でいっぱいだったはずの日。

でも、悪の組織のせいで、私は幸せ気分を持ち帰ることができませんでした。

私は、怒っております。

派遣のSさんには



「え?よっしーも怒ることあるの?」



と言われたことがありましたが、怒るものは怒るのです。

というか、気が長いと思われがちな私ですが(思考までもが「のろい」だけとも言えるのですが^^;)、実は怒りんぼです。怒ります。





はい、何があったかちゃんと話します。

この日私は京葉線のトラブルに巻き込まれました。

この日は「困った、大変だ」と思ったくらいで、悪の組織に対して怒りは感じませんでした。

でも、間違いなく困り、大変な思いをしました。

順を追ってその大変なことを書き直すと、



?京葉線の某駅までの切符を買い、トラブルがどのような状態なのか判らぬまま京葉線への乗り継ぎ駅へ移動

?乗り継ぎ駅で電車の復旧の見通しが立っていないことを知る

?どういう手段で某駅まで行けばいいのか聞くため、駅員さんへの列に並ぶ

?「某駅まで行きたい」と告げると、駅員さんに「振替乗車票」を一方的に渡され、地下鉄とバスを使って行くよう言われる

?言われたままに地下鉄に飛び乗り都内の駅に降りたが、そこにあったのは長蛇の列。

40分待ってもバスに乗れず、あきらめてタクシーを捕まえた





という感じです。

つまり私は、某駅までの切符を買ったのに、某駅までたどり着けなかった。

タクシー代は出なくても、せめて某駅までの交通手段にかかるはずだったお金は払い戻ししてもらいたいと思った。

それは切符代でも構わないし、地下鉄の駅からのバス代でも構わない。

額は大したことなくても、それでも納得いく対応をしてもらおうと思った。





なのに。





14日の18:55。

私は「悪の組織」の「Green Counter」で爆発しそうなイライラを胸に抱いてしまったのだ。

「Green Counter」での悪の一味とのやり取りを、以下に載せます。





s:

「28日の京葉線トラブルで某駅までの切符を買ったのですが行くことができなかったのでその分だけでも払い戻ししていただきたいんですが」

(切符と、「振替乗車票」を提示)



一味:

「そうですか。ということは乗り継ぎ駅から地下鉄に乗ったんですね」



s:

「はいそうです」



一味:

「あのですね、乗り継ぎ駅で「振替乗車票」を受け取った時点で切符は無効なんです」



s:

「ちょっと待って下さいよ。

乗り継ぎ駅で有無を言わさず振替乗車票を渡されたんですよ!

あの状況で受け取らない訳にはいかないですよね?

しかも某駅に着くこともできなくてタクシー乗ったんですよ!どういうことですか!?」



一味:

「でも、こちらは振替乗車票を渡して、代わりに地下鉄に乗るための運賃を負担しているんです。

それだけでこちらは正規のルートより多い額を出しているんですよ。

しかももう日にちも経っていますし」

(確かに9月28日から日は経っている)



s:

「じゃあいつまでに来たら払い戻ししてくれたって言うんですか?」



一味:

「それはトラブル当日の振替乗車票を受け取る前です」



s:

「はあ!?

一方的に渡された振替乗車票がどういう意味なのか判らないのは当然ですよね?

あの時拒否していれば良かったんですか!?

無理に決まっているじゃありませんか!!」



一味:

「お気持ちはよく解りますが、沢山の(トラブルに巻き込まれた)方々とは違った『特別扱い』ができないことはお察し下さい」



s:

(私のみが「特別扱い」だと全く思えない)





こんなのを、「慇懃無礼」と言うのでしょうか。

「振替乗車票」をもらった時点で正規に買った切符が無効になるなんて事前の説明があったなら、私は受け取らなかったはずです。

「振替乗車票」を拒否し、その時点で払い戻しして別ルートを探したはずです。

でも、あの日の駅員さんはそんなこと何も言わず、勝手に地下鉄に乗せた。

その運賃が「本来より多い額」だったからって、乗せてもらってありがとうなんて思える程私は人間出来てないし、そんなこと思える人なんてそうはいないはずだ。





絶対おかしいよね。

イライライライラしながら、家に帰りました。





守れる訳がないが、今の私の決意を言ってみる。



「もう一生『悪の組織ジ・エーハ』の電車なんか乗ってやらない!

 これからはどんなに遠回りでも、私鉄使う!!」



はーい無理ですよ。解ってますって。

でも、それくらい私は怒ってる。それが言いたいのです。

あ、ちなみに「ジ・エーハ」も「Green Counter」もちょっと言い回し変えてみました。

「ジ〜」の方は、フランス語でアルファベットを読んだらそんな響きに、「Green〜」の方は日本語をちょっと英語にしてみました。





楽しかったことは、明日にでもちゃんと書きますね。

本当に悪の組織の件以外は幸せだったんだもの。

幸せ気分にひたれるよう、明日は気持ちを入れ替えるぞー!!

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少し真面目な話でもしてみようかと。





向井亜紀さんが代理母に出産してもらった双子の子の出生届を受理されていない。

大切な、大切な我が子を今のお役所事情では「実の子」とできない。

これは、とても大きな問題です。

「代理出産」が今の日本の倫理では認められていないからこういう問題が生じているのです。





私は、本当に「齧った」程度で(しかもいつも爆睡していた)ちゃんとしたことを解っているとは到底思えないけれど、大学で倫理学を勉強しました。

そこで習った内容に、今現代の科学レベルで「子供を作れる」方法がどこまで「倫理として許される範囲」なのかというものがありました。

その中に「貸し腹」という言葉があったのです。

つまり、代理母による出産です。

「代理母」は、母親になる人と父親になる人との受精卵を10ヶ月育てるための腹を貸す。

日本では認められていないので、向井さん達は許されているアメリカでその「技術」を使い、お腹を借りて、自分たちの遺伝子を受け継いだ子を産んだ。

何故、日本で許されないのかというと、いろいろあると思う。

私が思いつく(思い出せる)限り挙げてみると、



?全く血のつながりのない子供を産む(産ませる)ことへの抵抗

?血がつながっていないとしても、自分のお腹で育てた赤ちゃんを「子」とできない問題

?腹を貸す・借りることにお金が絡む問題

?分娩・出産という「命の危険」が伴うことを代理母は経験しないといけない



などがあると思う。

授業では、

「(代理出産すれば)お金がもらえるといっても、それはボランティアのレベル」

と習った。

一体どれくらいなのかまで習ったかは思い出せなかったのでちょっと検索してみたら、簡単に出てきた。



代理母ドットコム



これが一律料金なのかはわからないけれど。

高いと思いますか?安いと思いますか?

多分皆さん



「払う方にとっては高すぎて、もらう方(代理母)にとっては安すぎる」



と思われるのではないのでしょうか。

私は、この額では「貸し腹」できません。

いや、一億もらっても、貸さないと思います。

自分の命にも関わることを(しかも多胎妊娠だと母胎へのリスクは更に高くなる)、そう簡単にはできない、というのが弱虫な私の本音です。

でも、払う側にとってはどう考えても莫大な費用です。

そこで、さっきは書き忘れましたが新たに



?お金を持っている人しか望みは叶わない



という点が出てくるでしょう。





向井さんご夫妻はいっぱい悩み苦しんだでしょう。

授かった命のおかげで子宮癌が判って、産むことができなかった苦しみ。

どうしても欲しい我が子をこの世に誕生させる為に、「代理母」のお腹と優しさを借りて、可愛い赤ちゃんを腕に抱けた。

でも、それは本当に「運がいい」からなのです。

おそらくおふたりも解っていらっしゃると思います。

産みたくても産めない夫婦は沢山います。

その苦しみを乗り越えて、夫婦ふたりで暮らす喜びを知った親戚が私にもいました。

「あきらめる」選択肢だけじゃなく、

「あきらめない」選択肢が与えられたおふたりは、本当に幸せなのです。





向井さん、高田さんご夫婦へ。

おふたりの決断は、現代の科学と倫理の問題を私達にも考えさせていただく貴重な機会となりました。

でも、品川区が受理しようとしなかろうと、ふたりの可愛いお子さんは間違いなくあなたたちの子です。

どうか素敵な家族を築いてください。

心からお祈りしています。







腹は割れるが腹は貸せない小市民より。

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