平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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私達の部活の定期演奏会は、毎年3月末に行われる。
2年生の最後の締めくくりとなる定演で、小山清茂の「吹奏楽のための木挽歌」を演奏した。
それがそのまま、3年生になった私達の最後のコンクール曲になった。
4楽章構成だったが、コンクールの時間制限により1、2、4楽章のみの演奏となった。
定演では私はピッコロ担当だったが、どうしてもコンクールで一度はフルートを吹いてみたい。
そこで先生に相談し、後輩に頼み込んで2楽章のピッコロのソロ、フルートのソロ部分と4楽章はフルートを吹かせてもらえることになった。
顧問のK先生は部活の為に生きているような人だった。自分自身に与えられるはずの時間もお金も、すべて部活につぎこんでいた。そのK先生についていくのは大変だったが、先生のおかげで私自身もものすごく充実した部活動を経験できたのだと思う。
最後のコンクールで坊主にならないよう、関東大会を目標に頑張った。
本番、私達は勿論だが先生もひどく緊張していたらしい。2楽章が終わっても、なかなか4楽章が始まらない。大丈夫なのか不安になった。どうやらパーカッションのセッティングの時間をとっていたみたいだが、4楽章を演奏し終えたのは制限時間の4秒前だった。
終わった瞬間、見に来てくださった先輩方が、「ブラボー!!」と叫んでくれた。その時は本当に嬉しく、達成感に満ちた気分だった。
そして、結果は1位で県大会通過・関東大会出場となった。ものすごく嬉しかった。
岩崎恭子ちゃん風に言えば、「生まれてきたなかで一番嬉しい」瞬間だったように思う。
そして、一ヶ月後の関東大会に向けて、猛練習が始まる・・・と思っていた。
ところが、K先生は他の曲を練習するように言ったのである。言われるままに新しく渡された楽譜を練習したが、何故かわからなかった。
後で聞いた話によると、先生は「教えるべきことを全て教えきってしまった」そうだ。合奏をしても何を教えていいかわからない。先生にしても戸惑いがあったのだろう。
関東大会はボロボロだった。1人の子のミスから、全体のバランスが崩れてしまった。
でも私達は充分にやり切ったと思う。残念ではあったけど、満足だった。
「関東大会」という場を経験できたこと。それが私の一生の思い出になったから。
2年生の最後の締めくくりとなる定演で、小山清茂の「吹奏楽のための木挽歌」を演奏した。
それがそのまま、3年生になった私達の最後のコンクール曲になった。
4楽章構成だったが、コンクールの時間制限により1、2、4楽章のみの演奏となった。
定演では私はピッコロ担当だったが、どうしてもコンクールで一度はフルートを吹いてみたい。
そこで先生に相談し、後輩に頼み込んで2楽章のピッコロのソロ、フルートのソロ部分と4楽章はフルートを吹かせてもらえることになった。
顧問のK先生は部活の為に生きているような人だった。自分自身に与えられるはずの時間もお金も、すべて部活につぎこんでいた。そのK先生についていくのは大変だったが、先生のおかげで私自身もものすごく充実した部活動を経験できたのだと思う。
最後のコンクールで坊主にならないよう、関東大会を目標に頑張った。
本番、私達は勿論だが先生もひどく緊張していたらしい。2楽章が終わっても、なかなか4楽章が始まらない。大丈夫なのか不安になった。どうやらパーカッションのセッティングの時間をとっていたみたいだが、4楽章を演奏し終えたのは制限時間の4秒前だった。
終わった瞬間、見に来てくださった先輩方が、「ブラボー!!」と叫んでくれた。その時は本当に嬉しく、達成感に満ちた気分だった。
そして、結果は1位で県大会通過・関東大会出場となった。ものすごく嬉しかった。
岩崎恭子ちゃん風に言えば、「生まれてきたなかで一番嬉しい」瞬間だったように思う。
そして、一ヶ月後の関東大会に向けて、猛練習が始まる・・・と思っていた。
ところが、K先生は他の曲を練習するように言ったのである。言われるままに新しく渡された楽譜を練習したが、何故かわからなかった。
後で聞いた話によると、先生は「教えるべきことを全て教えきってしまった」そうだ。合奏をしても何を教えていいかわからない。先生にしても戸惑いがあったのだろう。
関東大会はボロボロだった。1人の子のミスから、全体のバランスが崩れてしまった。
でも私達は充分にやり切ったと思う。残念ではあったけど、満足だった。
「関東大会」という場を経験できたこと。それが私の一生の思い出になったから。
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