平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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渦中の大臣が、自ら命を絶った。
強気の姿勢を崩さず、ナントカ還元水やら、多額の政治献金疑惑にも、常に強気で反論していた。
その持ち前の「強気」を死をもってしても示そうとしたのだろうか。
いくつかの側面から、大臣が死を選んだことについて考えてみようと思う。
自殺する人の何割かは、鬱状態にあった人だと言われている。
鬱になると、感情のコントロールが効かず、死ぬことしか考えられなくなってしまう場合もある。
それは病気の症状であり、もし大臣がそういった状態だったのであれば、切羽詰まってこれしか選択の余地が無い状態まで追いつめられていたのかもしれない。
・・・でも。
追いつめられる原因を作ったのは、あなた自身ではないですか?
国民の反感を買う、批判の元を作ったのは、あなたではないですか?
もし、これだけ批判があったけれど本当に自分が間違ったことをしていなかったのなら、そして鬱状態になってしまったのなら、それは同情します。
でも・・・やはりきちんと真相を説明する責任は、あったはずだ。
別の角度から。
自殺の原因を作ったのは、国民や野党の批判ではないと思う。
100%ないとは言い切れないけれど、あって当然の意見だし、それに追い詰められたのならあなたは弱い人間だとしか言いようがないと思うし。
私は、首相がかばい続けたことに、大きな責任があると考えます。
もし、すぐに解任させていたら、気が楽になれたのかもしれないのに。
大臣の座にいることを擁護し続けたことは、逆にプレッシャーだったんじゃないのか?
強気な姿勢を崩すきっかけを与えなかった責任は、首相にもあると思います。
私は小泉さんは好きになれなかったけど、ふたりの大物をすっぱり切ったという判断は、傲慢かもしれないが今の首相に比べたら潔い決断をしたんだと今振り返っています。
「慚愧に堪えない」
自分の過ちを、きちんと顧みて反省して欲しいと願います。
またちょっと別の角度から。
死んで訴えることは、できなくはない。
でも、自分が起こした過ちを、死をもって精算することはできない。
強気な、大きな発言力を持つ人なのだから、自分の口から話すべきだった。
それが、あなたに科された「責任」だったのではないですか?
話がまとまらないが、ごめんなさい。
でも、こんな形で死を選ぶ人は、尊敬できない。
私だって逃げ回っていた人生だけど、かろうじて生きてます。
強気の姿勢を崩さず、ナントカ還元水やら、多額の政治献金疑惑にも、常に強気で反論していた。
その持ち前の「強気」を死をもってしても示そうとしたのだろうか。
いくつかの側面から、大臣が死を選んだことについて考えてみようと思う。
自殺する人の何割かは、鬱状態にあった人だと言われている。
鬱になると、感情のコントロールが効かず、死ぬことしか考えられなくなってしまう場合もある。
それは病気の症状であり、もし大臣がそういった状態だったのであれば、切羽詰まってこれしか選択の余地が無い状態まで追いつめられていたのかもしれない。
・・・でも。
追いつめられる原因を作ったのは、あなた自身ではないですか?
国民の反感を買う、批判の元を作ったのは、あなたではないですか?
もし、これだけ批判があったけれど本当に自分が間違ったことをしていなかったのなら、そして鬱状態になってしまったのなら、それは同情します。
でも・・・やはりきちんと真相を説明する責任は、あったはずだ。
別の角度から。
自殺の原因を作ったのは、国民や野党の批判ではないと思う。
100%ないとは言い切れないけれど、あって当然の意見だし、それに追い詰められたのならあなたは弱い人間だとしか言いようがないと思うし。
私は、首相がかばい続けたことに、大きな責任があると考えます。
もし、すぐに解任させていたら、気が楽になれたのかもしれないのに。
大臣の座にいることを擁護し続けたことは、逆にプレッシャーだったんじゃないのか?
強気な姿勢を崩すきっかけを与えなかった責任は、首相にもあると思います。
私は小泉さんは好きになれなかったけど、ふたりの大物をすっぱり切ったという判断は、傲慢かもしれないが今の首相に比べたら潔い決断をしたんだと今振り返っています。
「慚愧に堪えない」
自分の過ちを、きちんと顧みて反省して欲しいと願います。
またちょっと別の角度から。
死んで訴えることは、できなくはない。
でも、自分が起こした過ちを、死をもって精算することはできない。
強気な、大きな発言力を持つ人なのだから、自分の口から話すべきだった。
それが、あなたに科された「責任」だったのではないですか?
話がまとまらないが、ごめんなさい。
でも、こんな形で死を選ぶ人は、尊敬できない。
私だって逃げ回っていた人生だけど、かろうじて生きてます。
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