平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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その前に、なーんでこんなに早起きなのでしょう?
答えは、「やっぱり眠れなかった」からであります。
書きたいことがなんだかいっぱいあるので、今日は朝早くからPCに向かってみました。
今日1日でいくつ記事エントリできるかな?うひひ。
「交代浴」とは、炎症で腫れや痛みを起こしている箇所を40℃ちょっとのお湯に2〜3分つけた後次に10℃くらいの水に1分くらいつける。それを繰り返し行うことをいいます。
それによって血行が良くなり、炎症をやわらげる・・・んだったような気がします。
超曖昧な記憶ではそんな感じでした。超曖昧なので正しくなくても文句言わないで下さい。お願いいたします(だってー、教科書に載ってないんだもん。ってこれから調べてみます)。
その「交代浴」を勉強したのは、大学4年の実習の時。
上腕骨(二の腕の骨)を複雑骨折し、末梢の手指まで腫れが起こってしまった品のいいおばあさんのために私のスーパーバイザーJ先生が
「spicaくん。交代浴を説明してあげなさい」
と私に命令しました。
私は、
「はぁ?」
と言ったかどうかは忘れましたが、全く分からなかったので困った顔をしました。
すると先生は本を取り出し
「これを読んでちゃんと方法を説明して教えてあげなさい」
とおっしゃる。
自信ないけど、やるっきゃないってことで、怖々本を覗いたのでした。
品のいいおばあさんはとてもいい方で、私が交代浴について全くわからなくても嫌な顔をせず待ってくれ、私が紙に書いて説明したら喜んでくれました。
それから、週に2回ほど、そのおばあさんはリハビリに来るようになりました。
私が実習させていただいた母校の付属の大学病院のリハ室は大学病院らしく患者さんの入れ替えが激しく、でも大学病院らしからぬアットホームな雰囲気の「居心地の良いところだな」と思える場所でした。
それはJ先生とW先生、それと当時新人だったS先生のお人柄が大いに影響していると思います。
そしてその品のいいおばあさんは、リハビリをしながらのおしゃべりがとても楽しみだったようです。
私やS先生に美味しい蒸しパンの作り方を教えてくださったりしました。
そして骨折した腕を動かす訓練を私が任された時、アメリカ帰りのJ先生は他の患者さんを診ながら
「アイソメトリックで動かすんだぞー」
とおっしゃいました。
それこそ「はぁ?」ですよ。さっぱりわからん。
まあ専門用語はニホンゴでも難しいので仕方ないですが。
その日おばあさんに正しい訓練ができていたかは・・・霧の中(汗)
そんな日々が続いていたのですが。
ある日、おばあさんが悲しい告白をしました。
おばあさんのご主人が末期の大腸がんで手術は不可能なこと。
そのためこれからはつきっきりで看病したいので、家により近い病院に転院すること。
そしておばあさんは泣きました。
「ここでリハビリを受けられるのが楽しみだった。来られなくなるのが悲しい」と。
最後は笑顔でお別れしました。
その後、ご主人がどうなったか、おばあさんの腕の痛みはどうなったかはわかりません。
実習生だったから知ることも出来ないし、先生方も知らないかもしれません。
でも、看病を続けていた時にあのリハ室が「憩いの場」になっていたらいいな、と思います。
今でもお元気でいていただけたらいいな、と思います。
・・・え?なんでそんな話を急にしたかって?
今私もやってるのですよ、「交代浴」!!
どうやってかといいますと・・・。
お風呂に入るとお湯がこぼれる話は書いてますが、そのこぼれる量を最小限にしようと思いついたのが
「肩の交代浴〜♪」
説明しよう、つまりは肩を片方ずつ湯の中に漬けるのであーる。
身体を90°倒して右肩を浸し、温まったら左に替えるのであーる。
・・・嗚呼、バカ丸出し(゜ー゜;Aアセアセ
でもそんなことしてたら、おばあさんのこと思い出せた。
実習は苦しかった。楽なものじゃない。
自律神経症状まで出たくらい(私の場合は頻脈になった。安静時の脈が120、エスカレーターで1階分歩いて昇ったら159まで上がるってどういうことかいな)。
毎朝3時に起きて記録を書いていた。栄養ドリンク片手に。
でも、でも、今となってはいい思い出の宝箱のような時間だったように思う。
いい先生に恵まれ、そしていい患者さんに恵まれた。
ありがたいことだ。
いろんな思い出話があるので、思い出したら書いていきたいです。
答えは、「やっぱり眠れなかった」からであります。
書きたいことがなんだかいっぱいあるので、今日は朝早くからPCに向かってみました。
今日1日でいくつ記事エントリできるかな?うひひ。
「交代浴」とは、炎症で腫れや痛みを起こしている箇所を40℃ちょっとのお湯に2〜3分つけた後次に10℃くらいの水に1分くらいつける。それを繰り返し行うことをいいます。
それによって血行が良くなり、炎症をやわらげる・・・んだったような気がします。
超曖昧な記憶ではそんな感じでした。超曖昧なので正しくなくても文句言わないで下さい。お願いいたします(だってー、教科書に載ってないんだもん。ってこれから調べてみます)。
その「交代浴」を勉強したのは、大学4年の実習の時。
上腕骨(二の腕の骨)を複雑骨折し、末梢の手指まで腫れが起こってしまった品のいいおばあさんのために私のスーパーバイザーJ先生が
「spicaくん。交代浴を説明してあげなさい」
と私に命令しました。
私は、
「はぁ?」
と言ったかどうかは忘れましたが、全く分からなかったので困った顔をしました。
すると先生は本を取り出し
「これを読んでちゃんと方法を説明して教えてあげなさい」
とおっしゃる。
自信ないけど、やるっきゃないってことで、怖々本を覗いたのでした。
品のいいおばあさんはとてもいい方で、私が交代浴について全くわからなくても嫌な顔をせず待ってくれ、私が紙に書いて説明したら喜んでくれました。
それから、週に2回ほど、そのおばあさんはリハビリに来るようになりました。
私が実習させていただいた母校の付属の大学病院のリハ室は大学病院らしく患者さんの入れ替えが激しく、でも大学病院らしからぬアットホームな雰囲気の「居心地の良いところだな」と思える場所でした。
それはJ先生とW先生、それと当時新人だったS先生のお人柄が大いに影響していると思います。
そしてその品のいいおばあさんは、リハビリをしながらのおしゃべりがとても楽しみだったようです。
私やS先生に美味しい蒸しパンの作り方を教えてくださったりしました。
そして骨折した腕を動かす訓練を私が任された時、アメリカ帰りのJ先生は他の患者さんを診ながら
「アイソメトリックで動かすんだぞー」
とおっしゃいました。
それこそ「はぁ?」ですよ。さっぱりわからん。
まあ専門用語はニホンゴでも難しいので仕方ないですが。
その日おばあさんに正しい訓練ができていたかは・・・霧の中(汗)
そんな日々が続いていたのですが。
ある日、おばあさんが悲しい告白をしました。
おばあさんのご主人が末期の大腸がんで手術は不可能なこと。
そのためこれからはつきっきりで看病したいので、家により近い病院に転院すること。
そしておばあさんは泣きました。
「ここでリハビリを受けられるのが楽しみだった。来られなくなるのが悲しい」と。
最後は笑顔でお別れしました。
その後、ご主人がどうなったか、おばあさんの腕の痛みはどうなったかはわかりません。
実習生だったから知ることも出来ないし、先生方も知らないかもしれません。
でも、看病を続けていた時にあのリハ室が「憩いの場」になっていたらいいな、と思います。
今でもお元気でいていただけたらいいな、と思います。
・・・え?なんでそんな話を急にしたかって?
今私もやってるのですよ、「交代浴」!!
どうやってかといいますと・・・。
お風呂に入るとお湯がこぼれる話は書いてますが、そのこぼれる量を最小限にしようと思いついたのが
「肩の交代浴〜♪」
説明しよう、つまりは肩を片方ずつ湯の中に漬けるのであーる。
身体を90°倒して右肩を浸し、温まったら左に替えるのであーる。
・・・嗚呼、バカ丸出し(゜ー゜;Aアセアセ
でもそんなことしてたら、おばあさんのこと思い出せた。
実習は苦しかった。楽なものじゃない。
自律神経症状まで出たくらい(私の場合は頻脈になった。安静時の脈が120、エスカレーターで1階分歩いて昇ったら159まで上がるってどういうことかいな)。
毎朝3時に起きて記録を書いていた。栄養ドリンク片手に。
でも、でも、今となってはいい思い出の宝箱のような時間だったように思う。
いい先生に恵まれ、そしていい患者さんに恵まれた。
ありがたいことだ。
いろんな思い出話があるので、思い出したら書いていきたいです。
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spica様
前略 この度は○×学院△□校へご応募頂き有難うございました。
今回の募集に関しましては採用定員に対し非常に多くの応募を頂き、選考には非常に難航をいたしました。貴方様の資質、お人柄にはとても好感を覚えましたが、非常に残念ながら選考基準を満たしておらず、残念ながら今回の採用は見合わせて頂きたくご連絡申し上げます。
今後のご活躍をご祈念申し上げます。
草々
・・・なるお手紙が届きました。
しかーも、履歴書も同封されてました。なんとご丁寧な。
これで次の面接の履歴書書くの楽になります。見本になるもんね♪
ワープロの文字だからみんなに送ってるのかもしれないけど、私の「資質」と「お人柄」は評価されたらしい。うふふ。
(でも私の「資質」って一体なんなんだろう・・・??)
今後の私の活躍も祈ってくれて、感謝ですね。
電話連絡が来ないから「ちぇっ、連絡くれないなら最初に言ってよね〜」と思ってたけど、これですっきりさっぱりしっくりです。
明日の求人広告楽しみ♪
前略 この度は○×学院△□校へご応募頂き有難うございました。
今回の募集に関しましては採用定員に対し非常に多くの応募を頂き、選考には非常に難航をいたしました。貴方様の資質、お人柄にはとても好感を覚えましたが、非常に残念ながら選考基準を満たしておらず、残念ながら今回の採用は見合わせて頂きたくご連絡申し上げます。
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しかーも、履歴書も同封されてました。なんとご丁寧な。
これで次の面接の履歴書書くの楽になります。見本になるもんね♪
ワープロの文字だからみんなに送ってるのかもしれないけど、私の「資質」と「お人柄」は評価されたらしい。うふふ。
(でも私の「資質」って一体なんなんだろう・・・??)
今後の私の活躍も祈ってくれて、感謝ですね。
電話連絡が来ないから「ちぇっ、連絡くれないなら最初に言ってよね〜」と思ってたけど、これですっきりさっぱりしっくりです。
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今日、こないだの求人票から気になっていたものに電話してみました。
結果は・・・。
「多分別の人に決まると思うのですが、もしその人に決まらなかったら(私に)応募してもらいたい」
とのことでした。
まあ、仕方ない。連絡するのこんなに遅くなったんだもんね。
でもさ、今までの私なら求人票見るだけで何もしなかったけど、前回といい今回といいちゃんと動けてるじゃん。
よしよし、動けてない頃の私とは大きく違うぞ。
・・・そう前向きに考えたいのですが、今の私はブルーです。
理由は、塾講師のバイトに落ちたからだけではないことはよくわかっています。
私って、表面を取り繕うのが上手なのか、下手なのか・・・。
昨日、大変な思いをしている友達にたくさん励ましの言葉をかけました。
その言葉はまぎれもない本心です。
でもその言葉を一言発するたび、私の心にぐさり、ぐさりと突き刺さるものがありました。
どんどん自分が追い詰められていくのがよくわかりました。
神様は、どうして「順番」というものを作ったんだろう。
小さい頃は「背の順」「走るのが速い順」なんかで並ばされた。
中学に入ったら、「成績のいい順」に並ばされるようになった(実際に並んだ訳じゃないけど)。
私のゴールは「作業療法士として働く」ことだと思っていた。
私の友達は軽々だったり、それなりに辛い思いをしながらだったりもそれをクリアしていった。
私はその「順番」に並べなかった。
みんなは着実に経験年数を積み、更に上を目指していくようになった。
それは学会で発表する論文を書いたり、実習生の指導担当を任せられるようになること。
無論、私の手の届かないところに、みんなはいる。
私はその「順番」に並ぶことすらできない。
みんながどんどん遠くへ行ってしまう。
私は作業療法士の世界から淘汰されてしまうのだろうか。
すみません、今日はまとまりのない、変な文章になってしまいました。
でも今日は、行動を起こせただけでも良しとしよう。
今は元気が出なくても、元気が出るのを辛抱強く待とう。
元気になったら復活パーティーでも開こう(笑)
今は、どっぷり悩みに漬かるのも悪くないかもしれない。
ひとすじの希望の光だけを求めて。
結果は・・・。
「多分別の人に決まると思うのですが、もしその人に決まらなかったら(私に)応募してもらいたい」
とのことでした。
まあ、仕方ない。連絡するのこんなに遅くなったんだもんね。
でもさ、今までの私なら求人票見るだけで何もしなかったけど、前回といい今回といいちゃんと動けてるじゃん。
よしよし、動けてない頃の私とは大きく違うぞ。
・・・そう前向きに考えたいのですが、今の私はブルーです。
理由は、塾講師のバイトに落ちたからだけではないことはよくわかっています。
私って、表面を取り繕うのが上手なのか、下手なのか・・・。
昨日、大変な思いをしている友達にたくさん励ましの言葉をかけました。
その言葉はまぎれもない本心です。
でもその言葉を一言発するたび、私の心にぐさり、ぐさりと突き刺さるものがありました。
どんどん自分が追い詰められていくのがよくわかりました。
神様は、どうして「順番」というものを作ったんだろう。
小さい頃は「背の順」「走るのが速い順」なんかで並ばされた。
中学に入ったら、「成績のいい順」に並ばされるようになった(実際に並んだ訳じゃないけど)。
私のゴールは「作業療法士として働く」ことだと思っていた。
私の友達は軽々だったり、それなりに辛い思いをしながらだったりもそれをクリアしていった。
私はその「順番」に並べなかった。
みんなは着実に経験年数を積み、更に上を目指していくようになった。
それは学会で発表する論文を書いたり、実習生の指導担当を任せられるようになること。
無論、私の手の届かないところに、みんなはいる。
私はその「順番」に並ぶことすらできない。
みんながどんどん遠くへ行ってしまう。
私は作業療法士の世界から淘汰されてしまうのだろうか。
すみません、今日はまとまりのない、変な文章になってしまいました。
でも今日は、行動を起こせただけでも良しとしよう。
今は元気が出なくても、元気が出るのを辛抱強く待とう。
元気になったら復活パーティーでも開こう(笑)
今は、どっぷり悩みに漬かるのも悪くないかもしれない。
ひとすじの希望の光だけを求めて。
来ないんです、連絡が。
そう、塾講師のアルバイトの合否がわからないのです。
多分、だめだったんだろうなあ、と思います。
「問い合わせてみようかなあ」と言ったら、妹くんに
「そういうことはするべきじゃないと思うよ。
不採用って向こうも言いづらいことでしょ。だから最近は不採用の場合連絡しないこと多いじゃん。」
と言われました。
確かにそうですなあ。
気持ち切り替えていこう!!
でも次は、2次方程式の解の公式は覚え直していこうっと(←未練がましい?)
出ちゃったんです、結果が。
「横浜の新守護神クルーン投手が160キロのボールを投げたら160万円プレゼント」の結果。
TBSの企画ですね。
結婚式にどうしても行きたいことに気づいてしまった私は、藁をもつかむ思いで応募したのです。
宝くじとか全然買ったことないのですが、なんだか応募すると当たる気になっちゃうものですね。
そして昨日、クルーン投手は161キロのボールを投げ、161万円が1名に当たることに。
当選者は・・・北海道の方でした。
1000キロも離れてるじゃーん。って何の関係もありませんなあ。
気持ち切り替えていこう!!
明日は、こないだの日曜の求人広告の募集に電話してみようかな。
ちょっと遅くなっちゃったけど、塾講師の件みたいなこともあるかもしれないし。
そう、気持ち切り替えて、なんでもかんでもひきずらないで、私の今できる限りのことをやってみよう。
それが大きなことじゃなくてもいい。
小さな小さなことでも、一歩進めればいいのです。
前を向いていきたいです。
そう、塾講師のアルバイトの合否がわからないのです。
多分、だめだったんだろうなあ、と思います。
「問い合わせてみようかなあ」と言ったら、妹くんに
「そういうことはするべきじゃないと思うよ。
不採用って向こうも言いづらいことでしょ。だから最近は不採用の場合連絡しないこと多いじゃん。」
と言われました。
確かにそうですなあ。
気持ち切り替えていこう!!
でも次は、2次方程式の解の公式は覚え直していこうっと(←未練がましい?)
出ちゃったんです、結果が。
「横浜の新守護神クルーン投手が160キロのボールを投げたら160万円プレゼント」の結果。
TBSの企画ですね。
結婚式にどうしても行きたいことに気づいてしまった私は、藁をもつかむ思いで応募したのです。
宝くじとか全然買ったことないのですが、なんだか応募すると当たる気になっちゃうものですね。
そして昨日、クルーン投手は161キロのボールを投げ、161万円が1名に当たることに。
当選者は・・・北海道の方でした。
1000キロも離れてるじゃーん。って何の関係もありませんなあ。
気持ち切り替えていこう!!
明日は、こないだの日曜の求人広告の募集に電話してみようかな。
ちょっと遅くなっちゃったけど、塾講師の件みたいなこともあるかもしれないし。
そう、気持ち切り替えて、なんでもかんでもひきずらないで、私の今できる限りのことをやってみよう。
それが大きなことじゃなくてもいい。
小さな小さなことでも、一歩進めればいいのです。
前を向いていきたいです。
昨日、亀がチーターを追い越すくらい信じられない行動(そんな、大げさな・・・)を起こした私ですが。
どうしてなんでこの私が「個別指導の塾講師」という仕事を選んだかをお話しようと思います。
だって今日話しておかないと、明日不合格通知が来ちゃったら書く気も失せちゃうでしょ?
ということで、今日は昔話を織り交ぜながら語らせていただきます。
中学校に入って、「算数」が「数学」になりました。
みんなその頃から嫌いになるんですよね、数学を。
私が中学に入って最初の担任だったH先生は、社会科担当なのに
「私がこのクラスの数学嫌いを起こさせない!」
という正義感から(正義感はいいんですが、ちょっと暑すぎたよ・・・H先生。)何故かうちのクラスだけ数学を教えることになりました。
中学に入ると、数字の中に「x」だの「y」だの訳の分からん記号が入るようになりました。
それに私はついていけなかったのです。
わからないことはわかるまで聞くというポリシーを持っていた(今じゃ信じられないけど)私は授業中にH先生を質問攻めにし、それでも納得できず同じ班の頭のいい男の子にバカにされたりしました。
そして中間試験で、平均点53点の数学のテストで46点を取るという失態をおかしました。
大ショックでした。
こりゃいかん、と思って助けを求めた先が、小学校から通っていた(中学に入って部活が始まってからはなかなか行けなかったけど)、教会学校の牧師先生です。
先生はとても頭が良く、でもそれをひけらかさない謙虚さと優しさを持っている素敵な方です。
今でも尊敬しています。
先生は「x」や「y」が使われた難しい(と思っていた)式を、分かりやすく噛み砕いてやさしくして教えてくださいました。
分かってくると、面白い!「問題を解ける」ってこんなに楽しいことなんだ、と知りました。
そして、期末試験では平均点以上を取ることができたのでした。
それから、毎週みこちゃんと私は牧師先生に勉強を教わることになり、授業で分からなかったことは社会科のH先生ではなく(H先生、いい先生です。でもやっぱり数学はわからなかった^^;)教会で徹底的に教えてもらうようになりました。
そして、いつの間にか私は数学大好きに、そして苦手を克服して得意科目になったのでした。
いつも分からないことを納得するまで教え込んでもらった成果か、数学が苦手な友達が私の周りに集まるようになりました。
自分が理解できるまでとことん取り組んだ内容を友達に伝えると、友達はそれを理解してくれ、喜んでくれました。
その中でも、M井さんという子はすごく私を買ってくれ、授業で分からなかった事はみんな私に聞いてくれるようになったのです。
それは高校に入ってからも続きました。
M井さんは私の隣駅の高校。通学中の満員電車の中で高校の数学を教えたこともあります。
試験期間になるとモスバーガーに呼び出され、「一緒に勉強」という名目で数学を教えてました(笑)
こうして、牧師先生とM井さんのおかげで、私は「勉強を教えることって楽しい」と知ったのです。
難しい問題も、一緒に考え、解けた時の喜びの大きさを知ったのです。
いつしか「教師になりたい」と思うようになりました。
それがどうして作業療法士になっちゃったのかは私の中の3大ミステリーのひとつです(笑)
残りの2つはこれから考えます。ミステリアス〜になりたい♪
大学へ入ってから、牧師先生から
「中学1年生の女の子に勉強とフルートを教えてもらえないか」
というお願いをされました。
大喜びで引き受け、数学と英語、そして何故かフルートを教えることになりました。
なんでも、吹奏楽部に入ったものの希望のフルートになれなかったらしく。
2時間のうち50分×2を勉強の時間、そして残りをお茶とフルートの時間にしました。
我が家で教えてたのですが(家庭教師でお宅を訪問するのが憧れだったのに・・・)、その子は我が家に来る日を楽しみにしてくれてたそうです。嬉しかったな。
短い期間だったけど、いい思い出です。
そんなこんなで実は私、勉強を教えるのが大好きなんです。
最初からすらすら問題を解けてたら、こんな境地にはいたらなかったと思います。
今回応募したのも、その気持ちを思い出したからです。
受からなくてもいい。「分からない事があって悩んでいた」時にそっと手を差し伸べてくださった牧師先生のような人に一歩近づけたら・・・と思います。
ああ、また長くなっちゃった〜。
今日の求人広告では全く違う内容のお仕事に心惹かれています(笑)
ともかく、明日からも動けるといいな♪
では、みなさまおやすみなさい。
どうしてなんでこの私が「個別指導の塾講師」という仕事を選んだかをお話しようと思います。
だって今日話しておかないと、明日不合格通知が来ちゃったら書く気も失せちゃうでしょ?
ということで、今日は昔話を織り交ぜながら語らせていただきます。
中学校に入って、「算数」が「数学」になりました。
みんなその頃から嫌いになるんですよね、数学を。
私が中学に入って最初の担任だったH先生は、社会科担当なのに
「私がこのクラスの数学嫌いを起こさせない!」
という正義感から(正義感はいいんですが、ちょっと暑すぎたよ・・・H先生。)何故かうちのクラスだけ数学を教えることになりました。
中学に入ると、数字の中に「x」だの「y」だの訳の分からん記号が入るようになりました。
それに私はついていけなかったのです。
わからないことはわかるまで聞くというポリシーを持っていた(今じゃ信じられないけど)私は授業中にH先生を質問攻めにし、それでも納得できず同じ班の頭のいい男の子にバカにされたりしました。
そして中間試験で、平均点53点の数学のテストで46点を取るという失態をおかしました。
大ショックでした。
こりゃいかん、と思って助けを求めた先が、小学校から通っていた(中学に入って部活が始まってからはなかなか行けなかったけど)、教会学校の牧師先生です。
先生はとても頭が良く、でもそれをひけらかさない謙虚さと優しさを持っている素敵な方です。
今でも尊敬しています。
先生は「x」や「y」が使われた難しい(と思っていた)式を、分かりやすく噛み砕いてやさしくして教えてくださいました。
分かってくると、面白い!「問題を解ける」ってこんなに楽しいことなんだ、と知りました。
そして、期末試験では平均点以上を取ることができたのでした。
それから、毎週みこちゃんと私は牧師先生に勉強を教わることになり、授業で分からなかったことは社会科のH先生ではなく(H先生、いい先生です。でもやっぱり数学はわからなかった^^;)教会で徹底的に教えてもらうようになりました。
そして、いつの間にか私は数学大好きに、そして苦手を克服して得意科目になったのでした。
いつも分からないことを納得するまで教え込んでもらった成果か、数学が苦手な友達が私の周りに集まるようになりました。
自分が理解できるまでとことん取り組んだ内容を友達に伝えると、友達はそれを理解してくれ、喜んでくれました。
その中でも、M井さんという子はすごく私を買ってくれ、授業で分からなかった事はみんな私に聞いてくれるようになったのです。
それは高校に入ってからも続きました。
M井さんは私の隣駅の高校。通学中の満員電車の中で高校の数学を教えたこともあります。
試験期間になるとモスバーガーに呼び出され、「一緒に勉強」という名目で数学を教えてました(笑)
こうして、牧師先生とM井さんのおかげで、私は「勉強を教えることって楽しい」と知ったのです。
難しい問題も、一緒に考え、解けた時の喜びの大きさを知ったのです。
いつしか「教師になりたい」と思うようになりました。
それがどうして作業療法士になっちゃったのかは私の中の3大ミステリーのひとつです(笑)
残りの2つはこれから考えます。ミステリアス〜になりたい♪
大学へ入ってから、牧師先生から
「中学1年生の女の子に勉強とフルートを教えてもらえないか」
というお願いをされました。
大喜びで引き受け、数学と英語、そして何故かフルートを教えることになりました。
なんでも、吹奏楽部に入ったものの希望のフルートになれなかったらしく。
2時間のうち50分×2を勉強の時間、そして残りをお茶とフルートの時間にしました。
我が家で教えてたのですが(家庭教師でお宅を訪問するのが憧れだったのに・・・)、その子は我が家に来る日を楽しみにしてくれてたそうです。嬉しかったな。
短い期間だったけど、いい思い出です。
そんなこんなで実は私、勉強を教えるのが大好きなんです。
最初からすらすら問題を解けてたら、こんな境地にはいたらなかったと思います。
今回応募したのも、その気持ちを思い出したからです。
受からなくてもいい。「分からない事があって悩んでいた」時にそっと手を差し伸べてくださった牧師先生のような人に一歩近づけたら・・・と思います。
ああ、また長くなっちゃった〜。
今日の求人広告では全く違う内容のお仕事に心惹かれています(笑)
ともかく、明日からも動けるといいな♪
では、みなさまおやすみなさい。

