平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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ほんとは中学時代の話を書きたいけど、その前にどうしても思ったことをまとめておこうと思い今PCに向かってます。
イラクで、日本人の男性が殺されました。それもひどく残酷なやり方で。
彼に責められるべき点は確かにあると思います。どれだけ危険なのか言われ、やめるよう諭されても行った。もしかしたら判断が甘かったのかもしれない。命を粗末に扱う行動は絶対にしてはならない。軽率な行動は許されない。
でも、拘束された時点で、日本の政府に「自衛隊を撤退する」という選択肢はなかったのだろうか。人の命がかかっている時に、国策うんぬん言ってる場合でしょうか?
勿論、自衛隊はイラクという国のために働いてるのはわかってます。未来のイラクにとって「益」となる活動をしているのだと思います。
だけど、それを快く思わない人間がイラク国内には間違いなく存在している。しかも信じている宗教から外れて過激な行為に走る人たちがまさにそうなのだ。彼らはアメリカを憎み、その「手下」状態の日本も同じように憎んでいる。アメリカの言いなりになってる首相さん、これからも大切な人の命よりもアメリカのご機嫌取りですか?
これもいろんな意見があると思います。でも人間の命より大切なものはない。私はただそれだけが言いたいのです。
イラクで、日本人の男性が殺されました。それもひどく残酷なやり方で。
彼に責められるべき点は確かにあると思います。どれだけ危険なのか言われ、やめるよう諭されても行った。もしかしたら判断が甘かったのかもしれない。命を粗末に扱う行動は絶対にしてはならない。軽率な行動は許されない。
でも、拘束された時点で、日本の政府に「自衛隊を撤退する」という選択肢はなかったのだろうか。人の命がかかっている時に、国策うんぬん言ってる場合でしょうか?
勿論、自衛隊はイラクという国のために働いてるのはわかってます。未来のイラクにとって「益」となる活動をしているのだと思います。
だけど、それを快く思わない人間がイラク国内には間違いなく存在している。しかも信じている宗教から外れて過激な行為に走る人たちがまさにそうなのだ。彼らはアメリカを憎み、その「手下」状態の日本も同じように憎んでいる。アメリカの言いなりになってる首相さん、これからも大切な人の命よりもアメリカのご機嫌取りですか?
これもいろんな意見があると思います。でも人間の命より大切なものはない。私はただそれだけが言いたいのです。
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中学時代の思い出を書こうとしたら、一日で終わるはずが二日、二日で終わるはずが・・・終わりませんでした(゜ー゜;Aアセアセ
多分(3)で終わります。あの頃は熱かったなぁ。
今日は息抜きに身のまわりで起きたことを書きます。熱いのが続くと、暑苦しくなっちゃいそうだから。
□■お祝いは、浄水器!?■□
先日無事赤ちゃんを出産したMちゃんにもっかんずでお祝いを贈ることを相談しなくちゃとメンバーのCちゃんにメールを送ったら、久々に電話をかけてきてくれました。
すると、Cちゃん情報によるともうMちゃんの欲しいものは決まってるそうで。
なんだろう、ベビーチェアかな、お洋服かな、おもちゃはOT目線で選べるぞ、それともメリーゴーランドかな??と最近赤ちゃんショップになにかと入り浸ってるせいでプレゼントの妄想が膨らみまくっている私は期待しました。
そしたら「浄水器」。こりゃびっくりでしょー。びっくりしましたよ。
浄水器といったら、高いものはウン十万するし・・・と思ったらもうお目当ての品物があって、しかもヨドバシカメラで買えばお買い得ということまで教えてくれたらしい。
さすが、Mちゃん。昔から段取りをテキパキと整えるのがずば抜けて得意だったもんね。
オーケストラ部のバス移動の時は早く行って必ず一番後ろの皆で並んで座れる席を取ってくれて仲良く座ったよね。懐かしいな。
・・・って話はずれましたが、赤ちゃんのミルクを作るのにきれいなお水でってことみたいです。
母の子への愛情は、きめ細やかで、行き届いてるものなんだなあと実感。
よし、浄水器、買おう!早く会いに行きたいよーー!!
□■ワープロ「書院」くんがあぁぁ・・・■□
またしても赤ちゃんに会うチャンスが到来したので、今度こそは新生児期の反射・反応を試させてもらいたーい(マニアックでゴメンナサイ)♪
なので、大学時代に反射について作成したレポートを見てみようと思い、ほぼ4年ぶりに捨てずに残っていたワープロに電源を入れてみた。
電源は入った。でもフロッピーを入れても、作動しない。がびーん。
そのフロッピーには、大切なレポートが入っていたのに・・・。レポートに拒絶反応があった私がものすごく苦しんで、必死で生み出したものばかり。
多分フロッピーにデータは残ってるだろうけど、ワープロが機能しないんじゃだめだ。
もう、捨てられちゃうのかな・・・。
反射、大学まで調べに行ってこようかな。でも遠いしな・・・。迷い中。
□■新選組!で涙■□
今日、「新選組!」で、中村勘太郎さん演じる藤堂平助が斬り合いで死んでしまった。
元の新選組の仲間たちがどうにかして助けようとしたのに、伊東甲子太郎への忠誠心から新選組に向かっていき、殺された。
まだ若いのに。今の時代ならこれからって時なのにと思ったら涙がこぼれた。
ドラマで久々に泣いた。
以上、ちょっと長い間奏曲でした。次は熱いモードに戻る予定です。
多分(3)で終わります。あの頃は熱かったなぁ。
今日は息抜きに身のまわりで起きたことを書きます。熱いのが続くと、暑苦しくなっちゃいそうだから。
□■お祝いは、浄水器!?■□
先日無事赤ちゃんを出産したMちゃんにもっかんずでお祝いを贈ることを相談しなくちゃとメンバーのCちゃんにメールを送ったら、久々に電話をかけてきてくれました。
すると、Cちゃん情報によるともうMちゃんの欲しいものは決まってるそうで。
なんだろう、ベビーチェアかな、お洋服かな、おもちゃはOT目線で選べるぞ、それともメリーゴーランドかな??と最近赤ちゃんショップになにかと入り浸ってるせいでプレゼントの妄想が膨らみまくっている私は期待しました。
そしたら「浄水器」。こりゃびっくりでしょー。びっくりしましたよ。
浄水器といったら、高いものはウン十万するし・・・と思ったらもうお目当ての品物があって、しかもヨドバシカメラで買えばお買い得ということまで教えてくれたらしい。
さすが、Mちゃん。昔から段取りをテキパキと整えるのがずば抜けて得意だったもんね。
オーケストラ部のバス移動の時は早く行って必ず一番後ろの皆で並んで座れる席を取ってくれて仲良く座ったよね。懐かしいな。
・・・って話はずれましたが、赤ちゃんのミルクを作るのにきれいなお水でってことみたいです。
母の子への愛情は、きめ細やかで、行き届いてるものなんだなあと実感。
よし、浄水器、買おう!早く会いに行きたいよーー!!
□■ワープロ「書院」くんがあぁぁ・・・■□
またしても赤ちゃんに会うチャンスが到来したので、今度こそは新生児期の反射・反応を試させてもらいたーい(マニアックでゴメンナサイ)♪
なので、大学時代に反射について作成したレポートを見てみようと思い、ほぼ4年ぶりに捨てずに残っていたワープロに電源を入れてみた。
電源は入った。でもフロッピーを入れても、作動しない。がびーん。
そのフロッピーには、大切なレポートが入っていたのに・・・。レポートに拒絶反応があった私がものすごく苦しんで、必死で生み出したものばかり。
多分フロッピーにデータは残ってるだろうけど、ワープロが機能しないんじゃだめだ。
もう、捨てられちゃうのかな・・・。
反射、大学まで調べに行ってこようかな。でも遠いしな・・・。迷い中。
□■新選組!で涙■□
今日、「新選組!」で、中村勘太郎さん演じる藤堂平助が斬り合いで死んでしまった。
元の新選組の仲間たちがどうにかして助けようとしたのに、伊東甲子太郎への忠誠心から新選組に向かっていき、殺された。
まだ若いのに。今の時代ならこれからって時なのにと思ったら涙がこぼれた。
ドラマで久々に泣いた。
以上、ちょっと長い間奏曲でした。次は熱いモードに戻る予定です。
私達の部活の定期演奏会は、毎年3月末に行われる。
2年生の最後の締めくくりとなる定演で、小山清茂の「吹奏楽のための木挽歌」を演奏した。
それがそのまま、3年生になった私達の最後のコンクール曲になった。
4楽章構成だったが、コンクールの時間制限により1、2、4楽章のみの演奏となった。
定演では私はピッコロ担当だったが、どうしてもコンクールで一度はフルートを吹いてみたい。
そこで先生に相談し、後輩に頼み込んで2楽章のピッコロのソロ、フルートのソロ部分と4楽章はフルートを吹かせてもらえることになった。
顧問のK先生は部活の為に生きているような人だった。自分自身に与えられるはずの時間もお金も、すべて部活につぎこんでいた。そのK先生についていくのは大変だったが、先生のおかげで私自身もものすごく充実した部活動を経験できたのだと思う。
最後のコンクールで坊主にならないよう、関東大会を目標に頑張った。
本番、私達は勿論だが先生もひどく緊張していたらしい。2楽章が終わっても、なかなか4楽章が始まらない。大丈夫なのか不安になった。どうやらパーカッションのセッティングの時間をとっていたみたいだが、4楽章を演奏し終えたのは制限時間の4秒前だった。
終わった瞬間、見に来てくださった先輩方が、「ブラボー!!」と叫んでくれた。その時は本当に嬉しく、達成感に満ちた気分だった。
そして、結果は1位で県大会通過・関東大会出場となった。ものすごく嬉しかった。
岩崎恭子ちゃん風に言えば、「生まれてきたなかで一番嬉しい」瞬間だったように思う。
そして、一ヶ月後の関東大会に向けて、猛練習が始まる・・・と思っていた。
ところが、K先生は他の曲を練習するように言ったのである。言われるままに新しく渡された楽譜を練習したが、何故かわからなかった。
後で聞いた話によると、先生は「教えるべきことを全て教えきってしまった」そうだ。合奏をしても何を教えていいかわからない。先生にしても戸惑いがあったのだろう。
関東大会はボロボロだった。1人の子のミスから、全体のバランスが崩れてしまった。
でも私達は充分にやり切ったと思う。残念ではあったけど、満足だった。
「関東大会」という場を経験できたこと。それが私の一生の思い出になったから。
2年生の最後の締めくくりとなる定演で、小山清茂の「吹奏楽のための木挽歌」を演奏した。
それがそのまま、3年生になった私達の最後のコンクール曲になった。
4楽章構成だったが、コンクールの時間制限により1、2、4楽章のみの演奏となった。
定演では私はピッコロ担当だったが、どうしてもコンクールで一度はフルートを吹いてみたい。
そこで先生に相談し、後輩に頼み込んで2楽章のピッコロのソロ、フルートのソロ部分と4楽章はフルートを吹かせてもらえることになった。
顧問のK先生は部活の為に生きているような人だった。自分自身に与えられるはずの時間もお金も、すべて部活につぎこんでいた。そのK先生についていくのは大変だったが、先生のおかげで私自身もものすごく充実した部活動を経験できたのだと思う。
最後のコンクールで坊主にならないよう、関東大会を目標に頑張った。
本番、私達は勿論だが先生もひどく緊張していたらしい。2楽章が終わっても、なかなか4楽章が始まらない。大丈夫なのか不安になった。どうやらパーカッションのセッティングの時間をとっていたみたいだが、4楽章を演奏し終えたのは制限時間の4秒前だった。
終わった瞬間、見に来てくださった先輩方が、「ブラボー!!」と叫んでくれた。その時は本当に嬉しく、達成感に満ちた気分だった。
そして、結果は1位で県大会通過・関東大会出場となった。ものすごく嬉しかった。
岩崎恭子ちゃん風に言えば、「生まれてきたなかで一番嬉しい」瞬間だったように思う。
そして、一ヶ月後の関東大会に向けて、猛練習が始まる・・・と思っていた。
ところが、K先生は他の曲を練習するように言ったのである。言われるままに新しく渡された楽譜を練習したが、何故かわからなかった。
後で聞いた話によると、先生は「教えるべきことを全て教えきってしまった」そうだ。合奏をしても何を教えていいかわからない。先生にしても戸惑いがあったのだろう。
関東大会はボロボロだった。1人の子のミスから、全体のバランスが崩れてしまった。
でも私達は充分にやり切ったと思う。残念ではあったけど、満足だった。
「関東大会」という場を経験できたこと。それが私の一生の思い出になったから。
中学・高校と私は部活で音楽をやっていた。
中学校は吹奏楽部。私の部活に対する姿勢の原型は、中学時代にある。
私達の学年は入れ替えはあったものの確か7人ほどしか入部しなかった。
私は小学5年生頃からずっとフルートに憧れていた。
そのきっかけを作ってくれたのは、当時通っていた教会学校の牧師先生。
先生も学生時代フルートをやっていたそうで、先生のフルートを吹かせてくれたのが始まり。
それ以来ずっと、中学に入ったらフルートをやる!と心の中で決めていた。
そして運良くフルートパートに入れることになった。木管の同級生はバリトンサックスのT君だけ。上級生も下級生も大勢いるなかで、独りぼっちだった。
練習は非常に厳しかった。音響を良くするために設計された音楽室の音響効果を敢えてシャットアウトするために、床にボロ毛布を敷き詰めて真夏も練習した。ものすごく暑かった。
加えて、顧問の先生が厳しかった。初見での合奏で怒鳴られるのも当たり前。でも速く譜読みをする力はそのおかげでついたと思う。
2年生のコンクールで、私はピッコロ担当になった。当初ピッコロの高音域が上手く吹けず、陰で泣いたりしていた。でも猛練習の成果もあって、ビックリするほど大きな音が鳴るようになった(笑)私のフルート・ピッコロは、音量の大きさが持ち味だった。それは高校時代も変わらなかった。
コンクールの結果は、「ダメ金」だった。つまり、金賞だけど、関東大会には行けない。
悔しかった。
帰りの車の中で、コンクール限りで引退する先輩達と、「来年関東大会に行けなかったら坊主」と約束した。その時は冗談半分だったけど、翌年、冗談じゃなくなってしまったのである。
中学校は吹奏楽部。私の部活に対する姿勢の原型は、中学時代にある。
私達の学年は入れ替えはあったものの確か7人ほどしか入部しなかった。
私は小学5年生頃からずっとフルートに憧れていた。
そのきっかけを作ってくれたのは、当時通っていた教会学校の牧師先生。
先生も学生時代フルートをやっていたそうで、先生のフルートを吹かせてくれたのが始まり。
それ以来ずっと、中学に入ったらフルートをやる!と心の中で決めていた。
そして運良くフルートパートに入れることになった。木管の同級生はバリトンサックスのT君だけ。上級生も下級生も大勢いるなかで、独りぼっちだった。
練習は非常に厳しかった。音響を良くするために設計された音楽室の音響効果を敢えてシャットアウトするために、床にボロ毛布を敷き詰めて真夏も練習した。ものすごく暑かった。
加えて、顧問の先生が厳しかった。初見での合奏で怒鳴られるのも当たり前。でも速く譜読みをする力はそのおかげでついたと思う。
2年生のコンクールで、私はピッコロ担当になった。当初ピッコロの高音域が上手く吹けず、陰で泣いたりしていた。でも猛練習の成果もあって、ビックリするほど大きな音が鳴るようになった(笑)私のフルート・ピッコロは、音量の大きさが持ち味だった。それは高校時代も変わらなかった。
コンクールの結果は、「ダメ金」だった。つまり、金賞だけど、関東大会には行けない。
悔しかった。
帰りの車の中で、コンクール限りで引退する先輩達と、「来年関東大会に行けなかったら坊主」と約束した。その時は冗談半分だったけど、翌年、冗談じゃなくなってしまったのである。
ようやく新潟の親戚と、連絡が取れるようになってきました。
電話がつながった時、母は声をつまらせていました。
とにかく、無事が確認できて良かった!
いくつかの家族と連絡を取り合っていましたが、脳卒中で車椅子生活の父の従兄は大事を取って病院に入院したそうです。
車の中で生活していても、寝られなかったり、トイレの問題があったりで大変みたいです。
幸い、長岡市は街が栄えているため食べ物を買ったりすることもできるそうです。よかった。
温かいご飯を食べることができる幸せ。当たり前にできるはずのことができていない親戚やたくさんの被災者の方々のことを思うと、胸が痛いです。
はやく余震がおさまって、ライフラインが復旧してくれることを願います。
電話がつながった時、母は声をつまらせていました。
とにかく、無事が確認できて良かった!
いくつかの家族と連絡を取り合っていましたが、脳卒中で車椅子生活の父の従兄は大事を取って病院に入院したそうです。
車の中で生活していても、寝られなかったり、トイレの問題があったりで大変みたいです。
幸い、長岡市は街が栄えているため食べ物を買ったりすることもできるそうです。よかった。
温かいご飯を食べることができる幸せ。当たり前にできるはずのことができていない親戚やたくさんの被災者の方々のことを思うと、胸が痛いです。
はやく余震がおさまって、ライフラインが復旧してくれることを願います。

