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平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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日ハムの監督さんは嬉しくてこの言葉を発したのでしょうが、今日の私は逆の意味でシンジラレナーイことがいっぱいでした。

大したことないことも、結構大したこともまとめて列挙。







・今日の夜は冷えると知り手袋を持参したのに出勤途中で片方紛失





・出勤直前に空腹感を感じ慌てて買ったマフィンが1個300円もするのに美味しくなかった





・最近の私はどすっぴんで出勤しロッカールームで3分間で化粧することに慣れてしまった





・今日ひとりで店番していた時に商品が大量入荷し、開封したら「あるまいにぃ」よな代物大多数





・その中で一番驚いた商品(おそらく今は春夏物入荷の時期です。念のため)が



 「楠田枝里子さんがオーロラを観に北極圏に旅立つ」



 時、もしくは



 「楠田枝里子さんが衛兵交代式を観にイングランドへ旅立つ」



 時にしか買わないであろう帽子だったこと(ちなみにお値段約8万円也)

 しかも2個入荷したうちの1個は何故か「バーバリー」の袋に入っていたこと





・全く同じお財布が違う商品名で違う価格になっていたこと





・貼ってある値札とレジで打った価格が違う商品が7割も占めていたこと









28歳にもなって化粧に3分しかかけなくなった私が、一番「シンジラレナーイ」でしょうか?

まあいっか(笑)





あの帽子は一体どうやって陳列するのでしょうか。

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2月1日。



母の誕生日。



この日を元気に迎えられたことを心から嬉しく思います。



この1年、とても大変だったけれど、持病を持ちながらも明るく楽しく生活できるようになって良かった。

お世話になっている先生方や薬、そして母を応援してくれるお友達や仲間に感謝する日でもあるんだろうな、と思います。







そんな本日は、両親と3人で中華レストラン「バー○ヤン」に行ってきました(笑)

なんて庶民的な我が家でしょう♪

でもちょっとだけ奮発して、いつもは焼餃子だけなのに今日は水餃子も頼み(←まるっきりド庶民)、デザートは杏仁豆腐じゃなくてケーキにして(←バー○ヤンで食べること自体やっぱりド庶民)、もりもり食べてきました。





そして、プレゼントをあげました。

今大ヒットしている秋川雅史さんの「千の風になって」のCD。

別にブームに便乗したわけではないのです。

一昨年の冬頃から母はずっと



「『千の風になって』っていうすごく良い詩があってね、新井満さんって人が訳した曲があるの」



と言い続けていました。

その後、母の入院中に偶然朝日新聞に詩とその論評のような記事があったので私は切り抜いてお見舞いに持って行ったらとても喜ばれました。

無事退院してしばらくしてから、私は大きなCDショップで新井満さんがご自身で歌っている「千の風になって〜再生〜」というアルバムを発見、購入してプレゼントしました。

母は大喜びしてくれました。

それを母がKちゃんのママに話したら、Kちゃんのママが



「NHKでテノールの歌手が歌ってて良かったわよ」



と言ったそうです。

聴いてみたい聴いてみたいとしょっちゅう言ってた母に朗報が。

秋川さんの紅白出演です。

いろいろお騒がせな紅白だったけど、母は秋川さんに釘付けになりました。

いつもなら一緒になって歌うくせに(私は小さい頃から母の音痴っぷりに溜め息をついていたらしく、母がなんでも曲に合わせて歌うと「歌わないの!」と言っていた。そう言うようになっておそらく25年は経っているけれどいまだに私は母に「歌わないでよー聴かせてよー」と言う^^;)、母は秋川さんの「千の風になって」を一切口ずさむことなく見入っていました。

相当感動したらしい。



・・・じゃあ、あげよう。



ということで、今年のプレゼントに決定した訳です。

バー○ヤンからの帰りにかけたら母はやっぱり口ずさみ始め(当然音程狂いまくり)、いきなり





「秋川さんの方が新井さんよりも音取りが上手じゃない?」





と言った。

お母さん・・・音取りできてないお母さんに言われたくないと思うよ新井さん(笑)

で、帰宅後、母は新井さん版のCDをかけてくれ、と言ったのです。

全然違う。

同じ曲なのに、秋川さんと新井さん、良さが違うのです。

どっちが良いじゃなく、どっちも良いのです。

音取りも完璧でした(笑)

そりゃご自身で作曲したんだもの、母に「音取り下手」の烙印を押す資格はありませんって。

でも母は、大好きな詩に曲がついたCDを今日付で2枚手に入れた訳です。

喜んでもらえてよかった。





ただし、大いなる問題がひとつ。



母は、CDを操作できないのですil||li _| ̄|○ il||li



今までプレゼントしたCDのほとんどは、どこかに眠っています。

どうにかして教え込みたいのですが。







2月1日。

おめでとう、お母さん。

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本日、いつもと違う部屋へ行きました。

初対面のその穏やかそうな女性は



「リンショウシンリシの○○です」



と名乗られました。

私は



「先日はお約束の日に来られなくて申し訳ありませんでした」



と言いました。







私の今までの通院・転院歴を簡単に言うと



千葉県内某大学病院



その病院ではカウンセリングができないということでカウンセリングが受けられるクリニックへ転院

受診は2週に一度、カウンセリングはほぼ月一度だったがあまり合わなかった



意を決して大学の健康管理センターの門を叩く

おふたりの臨床心理士の先生にお世話になる



そのふたりめの先生に大学敷地内にあるホ○リ大学病院の先生を紹介され、授業を受けたドクター(ドラえもんとかアニメのキャラクターの絵を描くのが上手な先生だった)に診てもらうようになる



大学卒業後千葉に戻っても月に2回神奈川まで通っていたが、就職を機に近くの病院へ転院、今日までカウンセリングは一切受けず





という経過です。

大学時代はスクールカウンセラーの先生だったので、一切費用はかかりませんでした。

そして、ぼろぼろだった頃の私が週に一度健康管理センターに行くと元気になって戻ってくるとお世話になったリハビリの先生方も認めるくらい、「カウンセリング」は私にとって大事な時間でした。

でも、今の病院に転院した当時、カウンセラーの先生は病院に常駐していなかったこともあり、ずっとドクターとの会話(はっきり言って劇的に元気にはなれない。でも悪いわけでもないからずるずると)だけでもう5年近く経ってしまいました。

でも、最近自分で元気を取り戻しつつある今だからこそカウンセリングを受けたらどうかとドクターに言われたのです。

どん底の頃よりきっと良い効果があるだろう、と。

そしてカウンセラーの先生も水曜日は常駐だから、と。





正直迷った。

学生の時とは違って、保険適用外の料金がかかる。

良い方向に行くならするべきかもしれない投資だけど、本当に必要なのか?

もう私はカウンセラーのお世話から離れて5年だぞ、と。

迷っていた上に最近不調だったこともあり、ドクターがちょっぴり勝手に決めた予約日に、私は行けなかったのです。

で、今日開口一番に謝った訳です。







良い先生だと思いました。

勿論初日から落ち込むようなことは言われないとは思ったけれど、優しかった。



「ちゃんと予約日に行けなかった電話ができて、そしてちゃんと最初に謝ることができるのがわかって、ああ、ちゃんと考えて行動できる人なんだと思いましたよ」



と言われた。

病院も仕事も、休んでしまったことを悪く評価する自分がいるのは間違いないけれど、その後ちゃんとそのフォローをした自分も評価すべきだ、と。

どうやら私は、「休む」ことに罪悪感を感じる人間になっていたらしい。

(なんてったって小中学皆勤賞)

でも、マッチョでモリモリな人も乳酸貯まって休むこともある。

休むことを悪いと考えすぎていたんだな。



これ、本日の収穫。

今後、一体自分が何を話すのか、少し楽しみになった。

泣くかもしれないしね(笑)

回り道回りまくってる人生だから、どうまとめてお伝えすればいいか悩み中。

まあ今悩んでも仕方ないんだけど。

あと、今後について「今は、カウンセリング『頼りすぎ』る場所にはしたくないです」とはお伝えしました。









タイトルは、私と先生の位置関係のことです。

向かい合う位置は緊張感が増し、並んで話せる(180°)のは相当仲が良くないとできないのです。

試験の面接だと張りつめた気分になるし、逆にカップルがファミレスでも向かい合わずに横顔見せ合いながら並んでご飯を食べるのはそれだけ精神的距離が近いということです(ちょっと豆知識)

緊張せず、ほどよい距離感で話せるのが、机の角をはさんだ90°の、目線の高さが同じ位置。

自分が治療者・検者の時はよく使ったけど、患者としては初めてだったなと思い、表題にしてみました。

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私はラーメンズが大好きです。

誰が何と言おうと、大好きです。

彼らは、天才だと思っています。

台本を作り、見事に演出する天才小林さんと、小林さんの独特な世界観をきちんと表現できる上に自分の個性をいかんなく発揮する片桐さん。

本当に、すごいふたりです。





ところが、ラーメンズは極端にメディアの露出が少ない。

「知る人ぞ知る」コンビです。

勿論、露出が多いから笑いの質が落ちる訳ではないけれど(実際私はアンジャッシュもアンタッチャブルも好き)、敢えてテレビに出ない、テレビで観ることができないからこそ、彼らの面白さと才能を再認識できるんだと思っています。

舞台にこだわるおふたりの次回公演は、即完売。(私も当日電話したんだけど・・・)

どうやらオークションで相当の高額がついて、営利目的の転売をする人達の存在を悲しむしかできない、それだけ貴重なライブなのです。

でも、そんなすごいおふたりなのに、「ラーメンズ」を知っている人に出会うことって、なかなかないです。





でも、そのおふたりが、昨秋からなんとMacのCMに出ているのです!

最近では新しいバージョンも出ています。

見たくて見たくて仕方ありません。

テレビで偶然流れた時は、そりゃもう私のテンションは上がりまくりです♪

でもなかなか出会えないので、私はMacのサイトでも見ています(笑)



こちら



おそらく「ラーメンズのふたり」と知って見ている方は少ないかもしれません。

私が「あのCMのふたりがラーメンズだよ」と教えて「え?あのふたりコンビなの?」と聞き返されたことも少なくありません。

でも、それぞれの個性がいかんなく発揮されている素敵なCMだと思います。

私はWindowsユーザーで、Macの方がなにかと優れているということを比較して認識させられるという意味ではちょっぴり悲しいのですが。

でも、Windowsのことをもろにダメだと言っているのではなく、片桐さんの可愛いボケ具合で、ほどよくあたたかい作品になっているのが魅力です。

(アメリカ版はどうやらビ○・ゲ○ツのそっくりさんが片桐さんの「PC」役をやっていて、結構スパイスが効いた内容らしいのですが)





今日、朝日新聞の「CM天気図」で、天野祐吉さんがラーメンズのおふたりと、そのCMを誉めて書いてくださってました。

天野さん、よっぽど私よりラーメンズを知っているなあ、と感じました。

そして、ラーメンズのことを書いてくれたことをすごく嬉しく思いました。

もちろん、切り抜いて保存決定です!





ああ、公演行きたいなあ。

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2日間、熱出したり頭痛すぎたり何故か泣いたりしておりました。

だから本当はブルーな内容を書くはずだったのですが、今はブルーじゃないのでやめます。

思い出話に急遽変更です。気分屋でごめんなさいね。









最近スキマスイッチのアルバムばかり聴いているのですが、実は一番好きなアルバムは持っていません。(だって貧しい生活なんだもの〜♪)

聴いているのは一番新しいので、好きなのは一番最初の。

その最初のアルバムの中の一曲が、タイトルの「えんぴつケシゴム」です。

大曲ではないんだけど、私にとってはかなりのツボヒット曲なのです。

歌詞は著作権とかで引用して良いのかわからないのでこちらをご参照下さい。





だいぶ違うようででも似たような経験を、私はしました。小学校の時に。

「イロコイ」の話は昔から誰にもしなかった私が告白するんですから、これ読んだ皆さんラッキーかもしれませんよ〜。

まあ「イロコイ」という言葉を当てはめるにはあまりにも幼稚なんですが・・・







小学校に入って、私はDちゃんと同じクラスになりました。

幼稚園も一緒だったんだけどクラスが違ったので、それまで接点はありませんでした。

Dちゃんは、4月1日生まれで、色が白くて、ちっちゃくて可愛い男の子でした。

しょっちゅう同じ班になり、信じられないかもしれませんがその頃はリーダーシップなんて取っていた私はたいがい班長で(自分で書いても信じられない(^◇^;)、Dちゃんは班長を支える忠臣でした。

いつも仲が良くて、席が隣になるとふたりでおしゃべりしすぎるくらいしゃべってました。

図工の時間に、反対側の男の子がDちゃんとばかり話す私をやっかんで、私が描いていた絵の中の人の顔を塗りつぶして私が大泣きする事件が発生し、図工の時間が急遽学級会になったこともありました(笑)

結局絵の中の人物の顔の修正は不可能だったのに、その絵で県展佳作を取るという「図工美術3人生」の私の唯一の金星になったのですが・・・





しょっちゅう同じ班になったので、クラス会前の「班の集まり」もしょっちゅう一緒になりました。

班長(面)の私は、進んで自分の家を「班の集まり」会場にしました。

今思えばこんなボロ家に何故みんなを呼んだのかわからないのですが。

とあるクラス会で、我が班は「3匹の小ぶた」を演じることになりました。

ところが、班の皆さん小ぶたのお面は率先して作るのに、肝心要の「家」を作ってくれない。

(当然っちゃ当然だけど)

3軒の「家」だけ完成しないまま、その日は解散、もうすぐ本番。

翌日の日曜日。

Dちゃんだけ来てくれたの!

私と我が家の父と祖父とDちゃんで、段ボールで家造り。

ところが、「3匹の小ぶた」の内容を知らなかった父と祖父(しかも祖父は大工)、藁の家も木の家もめちゃくちゃ頑丈に作っちゃったのでした(笑)



でも出来映えは良かったらしく、クラス会終了後は「家の取り合い」になったそうです。

これ父の記憶です。私は全く覚えていないのです^^;

私が覚えているのは、困った班をなんとかしようと、Dちゃんが手伝いに来てくれた。それだけ。





その後もなにかとあった「班の集まり」。

もうひとつ覚えているエピソードは、「班の集まり」終了後もDちゃんだけ残って、ふたりで遊んだこと。

ところがその日は合唱団の日で、練習が始まる前に我が家に当たり前に寄っていたみこちゃん(再登場♪)が来てしまい、私はなんだか恥ずかしくて慌ててDちゃんをちょうど飾ってあった雛人形の「ひな壇の下」に隠れさせたのでした。

ばれたんですけど。

なんでしょうね。あの気恥ずかしさは。





4年生になっても、同じクラスでした。

やっぱり同じ班になりよくしゃべり、近くの席のおいちゃんに「仲良しだねえ」と呆れられたけど、私はDちゃんは可愛い弟分くらいにしか思っていませんでした。

そして、「えんぴつケシゴム」っぽい事件が。

その頃流行った「カード式ボールペン」をDちゃんが持っていたのです。

テレホンカードサイズにボールペン2色がはめ込まれたやつ。

Dちゃんは、ちょっと得意げでした。

私は、ちょっとうらやましかったのでした。

なので、ちょくちょく借りました。

「まるつけするから貸して」って感じで。





そして・・・壊しました。





偶然ぶつけてしまい、フレーム部分を割ってしまったのです。

「カードの中にはめ込む」から便利で、かっこよくて、楽しいのに、私はそのカードを壊してしまった。

Dちゃんはちょっと複雑そうだったけど、すぐに許してくれました。

Dちゃんの優しさが、逆に私を申し訳なさでいっぱいにしました。





それ以降のDちゃんとの日々の記憶は、私にはありません。

5年生になって初めてDちゃんと別々のクラスになり、その後しばらくして関西に引っ越してしまったのです。

「男の子と女の子はクラスが変わったらもう話さない」みたいな暗黙のルール(もしかしたら私だけかもしれないけど)で、転校する先の住所も聞けませんでした。

だから、小学校の卒業アルバムには、Dちゃんはいません。

私が持っているのは、幼稚園の卒業アルバムの最前列の真ん中に座っている小さなDちゃんの写真だけ。

その後私も「カード式ボールペン」を手に入れたけれど、お詫びと一緒にDちゃんにそれを渡すことは、できませんでした。







私の中でDちゃんは、ちっちゃいままです。

私よりも身長が低くて、はしっこくて、声が女の子みたいに可愛くて、しょうもない班長の忠臣。

今はきっと声変わりして、背もすごく高くなってるかもしれないし、私よりずっと頼れる人になってるに違いないけど、そんなDちゃんを上手く想像できない私です。





いつか会えたらいいな。

「ありがとう」と「ボールペンごめんね」を言えたらいいな。





ずっと昔の、私の「えんぴつケシゴム」のお話です。













余談:

父は昔、選挙で誰に投票したらいいかわからなかった(おそらく魅力的な人がいなかったんだろうと思う)時に、Dちゃんのフルネームを記入したことがあるそうです(笑)

父よ・・・なにゆえ??

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