平凡な人間の、平凡じゃない毎日の記録帳
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今日から始まった、「獣医ドリトル」を観ました。
最近朝ドラと大河しか見てない私が、珍しく。
まあ内容はどうでもいいんですが(いや、面白いし、よさそうですよ)
今日おそらくゲストで出てた子役の男の子を見てたら、芋づるのように思い出がするする出てきた。
不登校で、実のお母さんじゃない母親と同居していて、ペットの猫を大切にするけなげでちょっとはかなげな男の子。
あれ?
誰かに似てる・・・
いや、この境遇の誰か、じゃなくてこの境遇を演じるようなタイプの誰か・・・
誰だっけ?
誰かを思い出したことは後に置いといて、同時に思い出した「我が家のおかき」のことを。
おかきって、家で作りますか?
昔、我が家では毎年2月から3月ごろ、母が揚げてくれました。
材料は、お正月のおもちのあまりです。鏡餅とか。
それをひたすら干して、干からびたのを揚げて塩を振ったらできあがり。
・・・いつちぎるのか、それとも自然に細かく割れるのか、イマイチ思い出せないのですが。
今は個包装のが売っているけど、昔は切りもちの保存は難しかった。
(年がばれる?)
それに、新潟の親戚と近所のいとこの家からたっぷりと板にしたおもちをいただいてました。
お正月とはカビとの闘いを意味するものでもありました。
それを、冬の空気に散々さらして、美味しくいただく。
先人の知恵を、母はちゃんと知っていたみたいです。
高校までは間違いなく我が家では作ってたな。
なぜかというと、もっかんずにやたらウケた記憶がしっかり残っているからです。
「もっと持ってきて」と催促する仲間もいたっけ。
それくらい、美味しかった。
おそらく消えてしまうであろう、我が家の歴史。
いや、消したくないなあ、まだおもちの季節には早いけど、今度自分で作ってみようかなあとも思ったり。
話を戻します。
思い出しました。
たしか小学2年まで同級生だった、こうちゃんでした。
こうちゃんは不登校じゃなかったし、元気で優しいごくごく普通の男の子だったんだけど。
背が小さくて、女の子みたいにくりくりとした目が可愛い子。
確か2月生まれで、サワダくんと同じ誕生日(嗚呼どうでもいい・・・)
私の小学校の出席番号は誕生日順で、サワダくんが先でこうちゃんが後でした。
どうでもいいところで細かいところが気になる私(だから細かすぎて伝わらないものまね選手権は大好き)は、なんでそんな順番になったか問い詰めた。
そしたらこうちゃんは「生まれた時間が僕の方が遅かったんだよ」と言った。
それを信じていたら(こうちゃんも信じていたと思うけど・・・)小学5年の時私自身が同じ誕生日の子と同じクラスになり、順番が後になった。そしたら私の方が誕生した時間はずっと早かった。どうやらあいうえお順になるらしいことが判明し、ちょっとがっかりしたり。あーどうでもよすぎる~。
さて、そのサワダくんと同じ誕生日のこうちゃんは、本当に可愛くて優しい男の子で、愛されキャラ的人気者でした。
なぜか私も、時々遊びました。だいたいは同じクラスのMちゃんも一緒に。
(このブログを読んでくださる方にMちゃんを知っている人、多分いると思います・・・だから伏字にしちゃった)
仲良くできることがなんだか嬉しくて、恋心とは別次元でああ、こうちゃん可愛い、好きだなあなんて、ね。
そのこうちゃんが、転校すると。
すごく、さみしかった。
それで、最後に一緒に遊んだのが、我が家でふたりで、だったのです。
ふたりで、といっても我が家には母も妹もおじいちゃんもいたけどね。
そして、最後だなと思ったのかこうちゃんは母に挨拶し、
母は「さみしいわねえ、こうちゃん元気でね」と言って
ビニール袋にたっぷりと、手製のおかきを入れてプレゼント。
ついでにみかんも、プレゼント。(これは静岡の親戚から送ってきたものと思われる)
母からの、お餞別でした。
たまたまあったから、であり、たまたま転校の季節と我が家のおかきシーズンが重なったからであるのだけど、鮮明に覚えていた、あのお餞別。
その後こうちゃんの丁寧な字の葉書が届いて(多分引っ越し通知だったと思う)
そこに
「おかきとってもおいしかったよ」
と書かれていたのでした。
そんなことがあったから、余計に覚えてるのかな?
その後一度も会ってませんが・・・
実は、ブラウン管の向こうで、再会したのです。
こうちゃんは、子役タレントになっていました。
私が観たのは、病院に入院しているパジャマ姿の少年役のこうちゃん。
相変わらず可愛くて、でも確かにちょっぴり病弱そうに見えて(可愛らしさがかよわさに見えたのかも)、いじらしいこうちゃんが、テレビの向こうで一生懸命演技をしていました。
びっくりだよねえ。
でも、更にびっくりしたのが、小学6年の時点でMちゃんがまだこうちゃんと文通していたという事実・・・
おそらく、幼心にふたりは両思いだったのだと。
ちらっと見たこうちゃんの手紙(当然ながら中身は見せてもらえなかったよ)は、相変わらず丁寧な文字で、光GENJIの封筒に入っていました。
(年を感じさせる?ええいいですよ)
こうちゃん、今どうしてるのかな・・・
おそらく、俳優の仕事はしてないと思います。見かけないし。
私と同い年で、同じクラスで仲がよかった男の子がテレビに出てたというミラクル(少なくとも幼い私にとっては)。
そんな時期を通過して、果たしてどんな大人になっているのか、気になるところですが、思い出にそっとしまっておけば、いいのかな。
そんなことを、今日の子役くんから思い出したのでした。
こうちゃんよりちょっとぽっちゃりしてたけど、雰囲気が似てたんだよな・・・
そしたら、思い出温泉どっぷりでした。
・・・やっぱり、おかき作ってみよう。うん、きっとやってみればできるさー。
最近朝ドラと大河しか見てない私が、珍しく。
まあ内容はどうでもいいんですが(いや、面白いし、よさそうですよ)
今日おそらくゲストで出てた子役の男の子を見てたら、芋づるのように思い出がするする出てきた。
不登校で、実のお母さんじゃない母親と同居していて、ペットの猫を大切にするけなげでちょっとはかなげな男の子。
あれ?
誰かに似てる・・・
いや、この境遇の誰か、じゃなくてこの境遇を演じるようなタイプの誰か・・・
誰だっけ?
誰かを思い出したことは後に置いといて、同時に思い出した「我が家のおかき」のことを。
おかきって、家で作りますか?
昔、我が家では毎年2月から3月ごろ、母が揚げてくれました。
材料は、お正月のおもちのあまりです。鏡餅とか。
それをひたすら干して、干からびたのを揚げて塩を振ったらできあがり。
・・・いつちぎるのか、それとも自然に細かく割れるのか、イマイチ思い出せないのですが。
今は個包装のが売っているけど、昔は切りもちの保存は難しかった。
(年がばれる?)
それに、新潟の親戚と近所のいとこの家からたっぷりと板にしたおもちをいただいてました。
お正月とはカビとの闘いを意味するものでもありました。
それを、冬の空気に散々さらして、美味しくいただく。
先人の知恵を、母はちゃんと知っていたみたいです。
高校までは間違いなく我が家では作ってたな。
なぜかというと、もっかんずにやたらウケた記憶がしっかり残っているからです。
「もっと持ってきて」と催促する仲間もいたっけ。
それくらい、美味しかった。
おそらく消えてしまうであろう、我が家の歴史。
いや、消したくないなあ、まだおもちの季節には早いけど、今度自分で作ってみようかなあとも思ったり。
話を戻します。
思い出しました。
たしか小学2年まで同級生だった、こうちゃんでした。
こうちゃんは不登校じゃなかったし、元気で優しいごくごく普通の男の子だったんだけど。
背が小さくて、女の子みたいにくりくりとした目が可愛い子。
確か2月生まれで、サワダくんと同じ誕生日(嗚呼どうでもいい・・・)
私の小学校の出席番号は誕生日順で、サワダくんが先でこうちゃんが後でした。
どうでもいいところで細かいところが気になる私(だから細かすぎて伝わらないものまね選手権は大好き)は、なんでそんな順番になったか問い詰めた。
そしたらこうちゃんは「生まれた時間が僕の方が遅かったんだよ」と言った。
それを信じていたら(こうちゃんも信じていたと思うけど・・・)小学5年の時私自身が同じ誕生日の子と同じクラスになり、順番が後になった。そしたら私の方が誕生した時間はずっと早かった。どうやらあいうえお順になるらしいことが判明し、ちょっとがっかりしたり。あーどうでもよすぎる~。
さて、そのサワダくんと同じ誕生日のこうちゃんは、本当に可愛くて優しい男の子で、愛されキャラ的人気者でした。
なぜか私も、時々遊びました。だいたいは同じクラスのMちゃんも一緒に。
(このブログを読んでくださる方にMちゃんを知っている人、多分いると思います・・・だから伏字にしちゃった)
仲良くできることがなんだか嬉しくて、恋心とは別次元でああ、こうちゃん可愛い、好きだなあなんて、ね。
そのこうちゃんが、転校すると。
すごく、さみしかった。
それで、最後に一緒に遊んだのが、我が家でふたりで、だったのです。
ふたりで、といっても我が家には母も妹もおじいちゃんもいたけどね。
そして、最後だなと思ったのかこうちゃんは母に挨拶し、
母は「さみしいわねえ、こうちゃん元気でね」と言って
ビニール袋にたっぷりと、手製のおかきを入れてプレゼント。
ついでにみかんも、プレゼント。(これは静岡の親戚から送ってきたものと思われる)
母からの、お餞別でした。
たまたまあったから、であり、たまたま転校の季節と我が家のおかきシーズンが重なったからであるのだけど、鮮明に覚えていた、あのお餞別。
その後こうちゃんの丁寧な字の葉書が届いて(多分引っ越し通知だったと思う)
そこに
「おかきとってもおいしかったよ」
と書かれていたのでした。
そんなことがあったから、余計に覚えてるのかな?
その後一度も会ってませんが・・・
実は、ブラウン管の向こうで、再会したのです。
こうちゃんは、子役タレントになっていました。
私が観たのは、病院に入院しているパジャマ姿の少年役のこうちゃん。
相変わらず可愛くて、でも確かにちょっぴり病弱そうに見えて(可愛らしさがかよわさに見えたのかも)、いじらしいこうちゃんが、テレビの向こうで一生懸命演技をしていました。
びっくりだよねえ。
でも、更にびっくりしたのが、小学6年の時点でMちゃんがまだこうちゃんと文通していたという事実・・・
おそらく、幼心にふたりは両思いだったのだと。
ちらっと見たこうちゃんの手紙(当然ながら中身は見せてもらえなかったよ)は、相変わらず丁寧な文字で、光GENJIの封筒に入っていました。
(年を感じさせる?ええいいですよ)
こうちゃん、今どうしてるのかな・・・
おそらく、俳優の仕事はしてないと思います。見かけないし。
私と同い年で、同じクラスで仲がよかった男の子がテレビに出てたというミラクル(少なくとも幼い私にとっては)。
そんな時期を通過して、果たしてどんな大人になっているのか、気になるところですが、思い出にそっとしまっておけば、いいのかな。
そんなことを、今日の子役くんから思い出したのでした。
こうちゃんよりちょっとぽっちゃりしてたけど、雰囲気が似てたんだよな・・・
そしたら、思い出温泉どっぷりでした。
・・・やっぱり、おかき作ってみよう。うん、きっとやってみればできるさー。
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